【学長からのメッセージ2023.3】「まあ、いいか」について(完結編)
星美学園短期大学 学長 阿部健一
「返報性(へんぽうせい)の原理」といって、人間には「仕返し」に向かう本性があります。したがって、誰かから嫌なことされたら、どうしても「仕返し」がしたくなり、簡単に「まあ、いいか」とはいかないかもしれません。しかし、「まあ、いいか」とするかしないかの権限は、自分にあるので、原理的には、「まあ、いいか」とすることは、不可能ではありません。
自分が誰かに嫌なことをしてしまった場合に、そんな自分を許し、「まあ、いいか」と水に流すことができるのか。これは、加害者である自分を、加害者である自分が許す構図になり、原理的には、不可能ということになるでしょう。たとえ、被害を与えた相手が、「まあ、いいか」と許してくれたとしても、事情は、変わりません。
私が洗礼を受けた時、私の教会では、月1回、ミサ後に、神父様による「癒しの按手」が行われていました。受洗後、はじめてその「癒しの按手」を受けたときに、突然、ある感情に満たされて、涙がとめどなく溢れ出てきました。その感情とは、昔、子どもの頃に経験した、きっと叱られるにきまってると思っていたのに、思いもかけずに、優しく「大丈夫だよ」と抱きしめられたときにこみ上げてきた、あの感情でした。「癒しの按手」のたびに、その感情が溢れ、嗚咽が始まり、涙がボロボロ流れ出すので、とうとう恥ずかしくなって、「癒しの按手」を受けるのをやめてしまいました。
イエス・キリストが弟子たちに教えた「主の祈り」の中に、「私たちの罪をお許しください。私たちも人を許します。」という一節があります。
「私たちも人を許します。」ということばは、私たちが、「返報性(へんぽうせい)の原理」に引きずられつつも、人を許すことが可能であることを意味しています。
「私たちの罪をお許しください。」ということばは、自分の罪は、自分ではどうしようもできず、神様に委ねるしかないことを意味しています。
人に被害を与えても平気な人には、神様は、遠くの方から、悲しい気持ちで見つめるしかありません。自分の罪を知る人には、すぐ側に、神様が来てくださいます。そして、優しく語りかけます。
「だいじょうぶだよ。心配しないで。」と。
そして、優しく付け加えます。
「だから、あなたも、人を許すのですよ。」と。
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