02_学長メッセージ

2024年6月 4日 (火)

【学長からのメッセージ2024.6】「かみさまは どこに いるのかなあ?」

 Cuo_5148_2
星美学園短期大学 学長 阿部健一


かみさまは どこに いるのかなあ?」 

かみさまは、どこにいるのかなあ?

神社でお参りしてた人がいたけど、おやしろの中に、かみさまがいるのかなあ?

曲がり角のお地蔵様に手を合わせていた人がいたけど、お地蔵様の中に、かみさまがいるのかなあ?

ぼくが幼稚園のとき、先生が「かみさまは、いつも、いっしょにいてくれる」って教えてくれたけど、かみさまは、いつも、ぼくの隣にいるのかなあ?

 

ぼく、おじいちゃんにきいてみたんだ。

「幼稚園の時、先生が、『かみさまは、いつも、いっしょにいてくれる』って教えてくれたけど、かみさまって、いつも、ぼくの隣にいるの?」

 

おじいちゃんは、困った顔をして、言ったんだ。

「難しい質問だなあ・・・。だって、おじいちゃん、かみさまのこと、よくわからないんだ」だって。いつも教会に行ってるくせにね。

 

でも、教えてくれたんだ。

「幼稚園の先生が、『かみさまは、いつも、いっしょにいてくれる』と教えてくれたのは、かみさまは、いつも、しょうちゃん(ぼくの名前だよ)の隣にいてくれるということじゃなくて、いつも、しょうちゃんの心の中に、いっしょに、いてくれるという意味じゃないかと思うよ。しょうちゃんが悲しいときや、うれしいときや、怒っているときや、考えているときや、笑っているときや、いつでも、どんなときでも、かみさまは、しょうちゃんの心の中に、いっしょにいてくれるからね」

 

それで、ぼく、分かったんだ。

神社にお参りしている人も、お地蔵様に手を合わせている人も、きっと、その人の心の中のかみさまに、話しかけているんだよね。


【関連記事】 学長が語る 障がい児保育 第1回~第8回(最終回)


https://www.c.seibi.ac.jp/

【ブログ】学長からのメッセージ


幼稚園教諭・保育士・特別支援学校教諭の取得を目指す

星美学園短期大学

2024年5月 7日 (火)

【学長からのメッセージ2024.5】「宝 物」

 Cuo_5148_2
星美学園短期大学 学長 阿部健一


「宝 物」 

ぼくが ママと おじいちゃんのおうちにいったとき

ママとお散歩に行ったら

土手の下に ぺんぺん草がいっぱい生えてたんだ

だから僕 一本持って帰りたくなっちゃったの

でもね 途中で折れちゃったんだよ 

だって 茎がとっても細いんだもん

おじいちゃんに「折れちゃったの」って見せたら

セロテープで折れたところを巻いて 治してくれたんだ

そして お水の入ったガラス瓶の中に挿してくれて 

ぼくに 言ったんだよ

「見て このぺんぺん草 とっても元気で 嬉しそうだよ」 ってね

 

わたしが パパと おじいちゃんのおうちにいったとき

パパと近くの公園に行ったら

端っこに 鉛筆よりも もっと太いぐらいの枝が落ちてたんだ

地面に少し埋まって 泥だらけだったけど

なんだか とっても 気に入っちゃったの

だから おじいちゃんちの玄関のところに 置いておいたんだ

だって 帰ったら ママに見せてあげるんだもん ぜったいに

おじいちゃんのおうちに さよならするとき パパが言ったの

「そんな泥だらけの枝を持ってたら 帰りの電車の中で おやつ食べられないよ」 って

でも 私は 言ったの

「いいよ」 って

だって この枝 ママに見せる方が いいもん

おじいちゃんも わたしに 言ったんだよ

「ママ とっても よろこぶぞ」 ってね


【関連記事】 学長が語る 障がい児保育 第1回~第8回(最終回)


https://www.c.seibi.ac.jp/

【ブログ】学長からのメッセージ


幼稚園教諭・保育士・特別支援学校教諭の取得を目指す

星美学園短期大学

2024年4月 4日 (木)

【学長からのメッセージ2024.4】「朽ちる命と朽ちない命」

 Cuo_5148_2
星美学園短期大学 学長 阿部健一


「朽ちる命と朽ちない命」 

 以前住んでいた家の庭に、朝顔を植えたことがあります。

 つるを伸ばし、花を咲かせ、そして、枯れていきました。

 翌年、同じ場所から芽が出て、同じように、花を咲かせました。

 

 ここで問題です。

 初めの年の朝顔と、次の年の朝顔は、同じ朝顔でしょうか?違う朝顔でしょうか?

 初めの年の朝顔は、朽ちて、もうありません。

 次の年の朝顔は、咲いています。

 この2つの朝顔を、それぞれ「個」として捉えるなら、「違う」朝顔としてみるのが自然でしょう。

 そして、その「個」の命は、「朽ちる」ように定められているのです。

 ところで、いつの間にか、勝手に芽を出して、花を咲かせた、次の年の朝顔は、いったい何者でしょうか?

 その出自を問うならば、言うまでもなく、前年の朝顔の種です。

 その種は、前年の朝顔自身であり、かつ、次の年の朝顔自身でもあります。そういう意味で、初めの年の朝顔と次の年の朝顔は、「同じ」朝顔と言えるでしょう。

 このように、「個」を超えた命は、「朽ちることのない」命です。

 

 「朽ちる」命が終わっても、「朽ちない」命は、在り続けます。

 それは、希望であり、喜びであると言えるでしょう。

 「野辺の花 はしゃぎつつ摘む童らに  微笑み顔で 過ぎ逝くわが身」

 義父の辞世の句です。


【関連記事】 学長が語る 障がい児保育 第1回~第8回(最終回)


https://www.c.seibi.ac.jp/

【ブログ】学長からのメッセージ


幼稚園教諭・保育士・特別支援学校教諭の取得を目指す

星美学園短期大学

2024年3月 6日 (水)

【学長からのメッセージ2024.3】「スマイルは、目で伝わる」

 Cuo_5148_2
星美学園短期大学 学長 阿部健一


「スマイルは、目で伝わる」 

Q区の保育園の巡回相談(月2回程度)を頼まれて、30年余りになります。

当初は、ギリギリ30代だったので、園児たちは、私のことを「おにいさん」と呼んでくれました。もっとも、中には、「おじさん」と呼ぶ不届き者もおりましたが・・・。

50代に入ると「おじさん」が、闊歩するようになりました。

が、60代に入っても、依然として「おじさん」(「おじいちゃん」ではなく)が頑張っていたので、「自分、見た目、案外若めかも?」などと調子に乗っておりました。

が、それも束の間、今や、木枯らしの吹く70歳半ば、さすがに「おじさん」と呼んでくれる園児は、誰一人、いなくなりました。諸行無常。

100%「おじいちゃん」と呼ばれる自分に、一日も早く、慣れ親しまなければ・・・と想いを馳せる、今日この頃であります。

・・・というのは、余談で・・・。

 

コロナ禍で、みなさん、マスクをするようになりました。

当然、保育園でも、保育士全員マスクでした(多くの園では、今も)。

保育士の表情が見えないので、子どもたちに何か問題が生じないか・・・ということも、ささやかれました。

実は、私も、マスクを付けた顔で、子どもとのラポール(親愛関係)が築けるか不安でした。と言うのは、ラポール形成のスーパー必殺技は、「スマイル」だからです。

「スマイル」は、「微笑み」とは違います。「微笑み」は、内向きな、慎ましやかな笑顔ですが、「スマイル」は、外向きの、「ごきげんよう」という、元気いっぱいの笑顔です。つまり、「スマイル」は、相手へのメッセージなのです。

どんなメッセージか?

「ぼくは、君を大切に思っているよ。だから仲良くなろうね」というメッセージです。

「スマイル」によって、このメッセージが、子どもの心に、瞬間的に伝わります。その結果、会った瞬間、友達になれるのです。

 

マスクで顔が隠れていても「スマイル」が伝わるだろうか?・・・無理だろうな・・・というのが、私の当初の思いでした。でも、それは全くの杞憂でした。マスクをしたままでも、全く問題なしでした。「スマイル」は、全く問題なく、子どもたちに伝わりました。

「スマイル」の発信地は、「口角」ではなく(マスクで隠れているのですから)、「目」なのです。

たとえマスクをしていようが、「スマイル」全開の時の「目」の力が、「ぼくは、君を大切に思っているよ。だから仲良くなろうね」というメッセージを、ちゃんと子どもに伝えるのです。

コロナのマスクが、私に、そのことを教えてくれました。


【関連記事】 学長が語る 障がい児保育 第1回~第8回(最終回)


https://www.c.seibi.ac.jp/

星美学園短期大学 【ブログ】学長からのメッセージ


幼稚園教諭・保育士・特別支援学校教諭の取得を目指す

@seibigakuen 
@seibi‗college 
@SEIBI_college


YouTube: 【高校生・受験生】学長メッセージ② ~星

2024年2月 5日 (月)

【学長からのメッセージ2024.2】命

 Cuo_5148_2
星美学園短期大学 学長 阿部健一


「命」

 新しい命は 母の胎内で 育まれ

 新しい命は 母の乳で

 そして 多くの人たちの愛で

 生かされていきます。

 

 新しい命の光が灯るとき

 新しい愛の光も灯ります。

 だから

 命は愛

 命と愛は 一緒です。

 

 愛があるとき 命は命であり

 そして 私も私になれます。

 

 愛がないとき 命は命ではなく

 そして 私も私にはなれません。

 

 本当の私は どんな私?

 いつも 喜んでいる私・・・。

 

 そんな私を 幼い日々の まぶしい光の中に

 いつの間にか 置き去りにして

 ここまで 歩いてきたのかもしれません。


【関連記事】 学長が語る 障がい児保育 第1回~第8回(最終回)


https://www.c.seibi.ac.jp/

星美学園短期大学 【ブログ】学長からのメッセージ


幼稚園教諭・保育士・特別支援学校教諭の取得を目指す
#学校見学
#オープンキャンパス
@seibigakuen 
@seibi‗college 
@SEIBI_college


YouTube: 【高校生・受験生】学長メッセージ② ~星

2024年1月 9日 (火)

【学長からのメッセージ2024.1】自分を捨てるほど自分らしくなる

 Cuo_5148_2
星美学園短期大学 学長 阿部健一


「お前は、いつも自分のことばかり考えてるな」

これは、父から、私がずっと言われ続けてきた言葉です。

子どもの頃ならまだしも、いい大人になっても言われた記憶がありますから、かなり筋金入りの「自己中・自分ファースト人間」だったということでしょう。そんな私であったからこそ、次のような「人生の不思議な真理(?)」に気づくことができたのかもしれません。

それは、「自分を捨てるほど自分らしくなる」ということです。 

私が、「自己中・自分ファースト人間」を脱却し始めたのは、多分40歳を過ぎたころからではないか思います。そして、その脱却が進行する過程の中で、「自分を捨てるほど自分らしくなる」ということに気づいていったのでした。

「自分を捨てるほど・・・」の「自分」とは、「自己中・自分ファーストの自分」です。そして、「・・・自分らしくなる」の「自分」とは、「本来あるべき(と感じられる)自分(本当の自分)」です。(ということは、前者の自分は、「本当の自分」ではないということになります。)

「本当の自分」とは、何かといいますと、それは、「愛が共にある自分」と言えるかもしれません。たとえば、「自分の言葉や行いが、いつも愛からのものであるかを意識している自分」と言ってもよいかもしれません。

「自己中・自分ファーストの自分」を捨てると、不思議なことに、替わって、「自分」の中に「愛」が登場してきます。そして、そのとき、「自分は、本来あるべき自分になれた」と感じることができるのです。これが、「自分を捨てるほど自分らしくなる」ということの意味です。


【関連記事】 学長が語る 障がい児保育 第1回~第8回(最終回)


https://www.c.seibi.ac.jp/

星美学園短期大学 【ブログ】学長からのメッセージ


幼稚園教諭・保育士・特別支援学校教諭の取得を目指す
#学校見学
#オープンキャンパス
@seibigakuen 
@seibi‗college 
@SEIBI_college


YouTube: 【高校生・受験生】学長メッセージ② ~星

2023年11月30日 (木)

【学長からのメッセージ2023.12】そら が そこに あること

Cuo_4993_3

星美学園短期大学 学長 阿部健一


「たいせつなこと」という絵本があります。(マーガレット・ワイズ・ブラウン作 レナード・ワイスガード絵 フレーベル館)1949(昭和24)年に出版され、読み継がれている絵本です。

その中に次の一節があります。

「そらに とって たいせつなのは いつも そこに あると いうこと」

空ほど、いつも、私たちと共に在るものはありません。

人が生まれたときから死ぬときまで、どこに居ても、共に在るのですから。

と言うか、空は、私が生まれる前から、そして私が死んだ後も、ずーっと在り続けるのですから。

もしかして、空は、私が、今、ここに、こうして私として、たしかに在るという、「自己存在」の意識を繋ぎ止めてくれるアンカーのようなものなのかな・・・とも思います。

私は、よく空を見上げます。空は、ただ上を見るだけで、いつも、そこに居てくれます。

思い煩いで心が煮詰まったとき、空を見上げると、なんだか、そんな思い煩いが、ちっぽけなこと、取るに足りないことに思えてきます。空の無限性、永遠性が、きっと、私にそのことを教えてくれるのでしょう。

もしかして、空は、神様に似ているのかな・・・とも思います。

 

私が見る幸せな“夢”は、窓から空が見えるベッドの上で死ぬことです。

レースのカーテンを優しく押して訪れる“風”に包まれて、「幸せそうな顔、してるね」という周りのささやき声を聞きながら・・・そんな夢です。


【関連記事】 学長が語る 障がい児保育 第1回~第8回(最終回)


https://www.c.seibi.ac.jp/

星美学園短期大学 【ブログ】学長からのメッセージ


幼稚園教諭・保育士・特別支援学校教諭の取得を目指す
#学校見学
#オープンキャンパス
@seibigakuen 
@seibi‗college 
@SEIBI_college


YouTube: 【高校生・受験生】学長メッセージ② ~星美が目指す保育者像~

2023年11月 1日 (水)

【学長からのメッセージ2023.11】はるかな故郷の風

Cuo_4993_3

星美学園短期大学 学長 阿部健一


 8月号で、普通の歌が、神様と私(阿部個人)の歌として聞こえてくることがあり、それは、中島みゆきさんの「糸」と、さだまさしさんの「天までとどけ」だというお話をしました。

今回は、「天までとどけ」について、お話しします。 

「天までとどけ」のはじまりは、次の歌詞です。

「出逢いはいつでも 偶然の風の中」 

「出逢い」とは、誰との出逢いでしょうか?

私の場合、それは、イエス様との出逢いです。後に「偶然の風の中」という言葉が続いているからです。「風」というのは、キリスト教的には、「聖霊」のことなので、私にとっては、自然と、イエス様との出逢いに聞こえてくるのです。

少し跳んで、次の歌詞です。

「懐かしい風景に 再びめぐり逢えた そんな気がする 君の胸に はるかな故郷の風」

ここに「君の胸に」とありますが、私の場合は、「ぼくの胸に」になります。大変自分勝手で申し訳ないのですが、“君”ではなく、「“ぼく(私)”の胸に はるかな故郷の風」が吹いてくるのです。

「風」とは、聖霊(愛の霊)です。

「はるかな故郷」というのは、私にとっては、「子どもの頃の心」です。

 「懐かしい風景」も、同じく、「子どもの頃の心」です。

つまり、この歌詞は、私には、イエス様との出逢いによって、何の煩いも心配もなく生きていた子どもの頃の、あの清々しく軽々とした心に、再び還ることができた・・・という意味なのです。

子どもの頃は、野の草花が風に身を委ねて揺れるように、「自分」を何かに委ねて生きていたように思います。

でも、いつのまにか、自分で「自分」を背負って歩くようになってしまいました。

これは、とてもしんどいことです。

そんな私の「自分(私)」を、「偶然の風」の中で、イエス様が背負ってくださいました。


【関連記事】 学長が語る 障がい児保育 第1回~第8回(最終回)


https://www.c.seibi.ac.jp/

星美学園短期大学 【ブログ】学長からのメッセージ


幼稚園教諭・保育士・特別支援学校教諭の取得を目指す
#学校見学
#オープンキャンパス
@seibigakuen 
@seibi‗college 
@SEIBI_college


YouTube: 【高校生・受験生】学長メッセージ② ~星美が目指す保育者像~

2023年10月 1日 (日)

【学長からのメッセージ2023.10 】誕生

Cuo_4993_3

星美学園短期大学 学長 阿部健一


  今回は、中島みゆきさんの作品の中で、私が一番好きな「誕生」を取り上げたいと思います。この歌から、私は、次のようなメッセージを読み取ります。(今回も、私の、自分勝手な深読みであることをお断りしておきます。)

 ①苦しいこと、辛いことも無駄ではなかったとわかる日が、きっと来る。その苦しみは、君が新しく生まれるためのものだから。だから「生きていても仕方ない」なんて言わないでほしい。

 ②人は、生まれた後でも新しく生まれることができる。赤ちゃんが泣いて生まれてきたように、君が、今、泣いているのも、きっと、君が生まれるためなんだ。

 ③君が生まれた時、そばに君の誕生を喜び、世話をしてくれ人がいたことを忘れないでほしい。君は、愛されて生まれて来たんだ。もし、君が「そんなことない」と言うのなら、私が言うよ。何回でも。「生まれてくれてWelcome」ってね。

 ④君は、きっと、もうとっくに愛を知っているはずだ。だから、今は、誰かにすがりたい気持ちでも、きっといつか、誰かを守りたい気持ちになれるさ。

 「誕生」というと、普通は、この世に生まれてきた時の「誕生」の話になりますが、中島みゆきさんの「誕生」では、生まれた後の「誕生」が語られています。

15 年ほど前、各地のハンセン病療養所に多数の中絶胎児の標本が保存されていたことがわかり、大きな問題になりました。旧優生保護法の下で人工中絶や断種手術が行われたのでした。その当時、NHKスペシャル(「にほんの家族の肖像」第1回、2007年5月27日放送)で、ハンセン病療養所の人たちの生活が取り上げられました。その中に上野正子さんご夫妻がいました。

正子さんが結婚するとき、同じハンセン病である夫に断種手術が施されました。事後にそのことを知らされた正子さんは、その時点で「子どものいる家庭」というかけがえのない自分の夢が打ち砕かれ、結婚生活60年の間、ずっと夫に対してわだかまりを持ち続けてきました。正子さんは、番組の中で、自分の結婚について、「かえすがえすも、残念なことだった」と語りました。

番組取材中、正子さんの夫が亡くなり、(取材が始まったとき、夫は、脳梗塞で寝たきりになっていました。)その半年後に、番組は、再び、正子さんを取材しました。そのときの、正子さんは、自分の結婚について、驚くべきことを語りました。

「残念ではあったけど、悔いのない結婚とは、こういうものだと思いますよ。」

そして、ナレーションが流れました。

「この後、上野さんは、夫へのわだかまりを語ることはありませんでした。」

夫を亡くしてからの半年間に、いったい、正子さんに何が起こったのでしょうか。

私たちは、大切な人を亡くした後、生前よりも、もっと深くその人を知る体験をします。(生前は、その人の、逐一のリアルな言動に注意が奪われ、逆にその人の本当の姿が見えにくいのかもしれません。)

正子さんも、夫を亡くしてから、もっと深く夫を知る体験をしたのではないかと思います。その結果、「いつも私を励まし続けてくれた、自分に優しかった人」として、夫の愛の深さを知ることができたのだろうと思います。

「悔いのない結婚とは、こういうものだと思いますよ。」と、晴れ晴れと語る正子さんは、きっと新しく生まれた正子さんなのだと思います。

神様は、人生の最後の最後まで、仕合わせな「誕生」のチャンスを、私たちに与えてくださるようです。


【関連記事】 学長が語る 障がい児保育 第1回~第8回(最終回)


https://www.c.seibi.ac.jp/

星美学園短期大学 【ブログ】学長からのメッセージ


幼稚園教諭・保育士・特別支援学校教諭の取得を目指す
#学校見学
#オープンキャンパス
@seibigakuen 
@seibi‗college 
@SEIBI_college


YouTube: 【高校生・受験生】学長メッセージ② ~星美が目指す保育者像~

2023年9月 2日 (土)

【学長からのメッセージ2023.9】縦の糸と横の糸(続編)

Cuo_4993_3

星美学園短期大学 学長 阿部健一


 前回は、中島みゆきさんの「糸」について、縦の糸は「神様」、横の糸は「私」という特殊なお話しをしましたが、普通は、2本の糸は、2人の人間、中でも恋人同士として理解されるのではないかと思います。

しかし、恋人同士で、はたして、中島みゆきさんが描く「誰かを暖めうる、誰かの傷をかばいうる布」になれるのでしょうか... 必ずしも、簡単ではないと思います。なぜなら、恋人同士でも、ほぼ、自分本位だからです。自分本位の2本の糸が揃っても、「布」になるのは難しいのです。「布」というのは、2本の糸がお互いに身を挺して、きつく支えあうことによって生まれるものだからです。(そういう意味で「布」は、「自分を捨て、自分になる」という人生の真理をわかりやすく語っているようにも見えます。)

愛し合っている恋人同士も、ほぼ自分本位... と述べましたが、世間に流布している恋の歌をチェックしていただければ明らかだと思います。「そばにいてくれ」、「行かないでくれ」...と、“自己中心語”のオンパレードであることがわかります。

(とても分かりやすい例が、西野カナさんの「トリセツ」です。)

昔、私に洗礼を授けてくださった外国人の神父様が、こんなことをおっしゃいました。

「結婚講座に来る若いカップルに『あなたは、相手のために命を捨てることができますか』と訊くと、たいてい困った顔になります。」

それが普通なのです。恋人同士であっても。

(もっとも、老夫婦に同じ質問をすると、『もちろんです』という顔で頷くことが多いそうですが...。)

話を元に戻しまして、それでは、どんな恋人同士も、「布」にはなれないのか?...答えは、“いいえ”です。世の中には、「誰かを暖めうる、誰かの傷をかばいうる布」となった2本の糸が存在します。

2日前に結婚したばかりだという若い夫婦が、多額のお金を寄付するためにマザー・テレサのところにやってきました。そのお金は、自分たちの結婚披露宴のためのお金でしたが、結婚する前から、それを全部寄付することに、2人で、決めていたのです。なぜなら、愛で結ばれた自分たちの結婚生活を、他の人に愛を捧げる行いで、始めたかったからでした。

マザー・テレサは、この若いカップルについて、次のように語っています。

「彼らのように、自分たちの愛を人と分かち合おうとする心は、神様からいただく恵なのです」(M・Kポール「コルカタの聖なるマザー・テレサ」87ページ サンパウロ)

中島みゆきさんの「糸」の最後は、次の歌詞で結ばれています。

「縦の糸はあなた、横の糸は私、逢うべき糸に出逢えることを、人は、仕合わせと呼びます」

「誰かを暖めうる、誰かの傷をかばいうる布」に、自分と共に織りあげられる、そんな相手の糸に出逢えること、それこそが仕合わせなのだというのです。マザー・テレサの前に現れた若いカップルは、まさに、そのような「逢うべき糸」に巡り会えた、仕合わせな2人であるといえるでしょう。

ところで、お互いに支え合い、「布」となり得る愛をもった2本の糸も、「織り手」がいなければ、「布」に仕上がることはないでしょう。マザー・テレサは、「自分たちの愛を人と分かち合おうとする心は、神様からいただく恵なのです」と語りました。

中島みゆきさんの「糸」も、「逢うべき糸」に巡り合った2本の糸が、その愛を誰かと分かち合う(誰かを暖めうる、誰かの傷をかばいうる「布」になる)というお話しでした。

ということは、この仕合わせな2本の糸が「誰かを暖めうる、誰かの傷をかばいうる布」に織られることも、「神様からいただく恵」によるといえるのではないでしょうか。

そこで、結論です。「糸」が「布」になるためには、織り手が必要です。中島みゆきさんの「糸」は、「自分たちの愛を人と分かち合う布」に織り上げられました。その「自分たちの愛を人と分かち合おうとする愛」は、神様からいただく恵みです。ということは、中島みゆきさんの「糸」という歌の中に、実は、仕合わせな2本の糸の「織り手」として、「神様」が登場しているのです!!

 「ちょっ、ちょっ、ちょっと、待ってね。なんぼなんでも、深掘りしすぎなんでないかい」...ですかねえ...そうなっちゃうんですけど...私的には...。


【関連記事】 学長が語る 障がい児保育 第1回~第8回(最終回)


https://www.c.seibi.ac.jp/

星美学園短期大学 【ブログ】学長からのメッセージ


幼稚園教諭・保育士・特別支援学校教諭の取得を目指す
#学校見学
#オープンキャンパス
@seibigakuen 
@seibi‗college 
@SEIBI_college


YouTube: 【高校生・受験生】学長メッセージ② ~星美が目指す保育者像~