02_学長メッセージ

2024年7月26日 (金)

学長メッセージ・特別編「学長講話:中編」

今回の学長メッセージは、学長メッセージ特別編として、7月22日(月)に行われた「学長講話」の内容を前・中・後編として、まとめましたので、ぜひご一読ください。

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お待たせしました!中編です。 前編の内容はこちらから


本日配布しました「しおり 2.聖書朗読(コロサイ人への手紙 3章12-17節)コロサイの信徒への手紙  本文2行目です。

「憐れみの心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身につけなさい。」とあります。

「身につけなさい」と言う言葉に注意してください。「~しなさい」とは言っていませんね。

 その3行下、同じく「愛を身につけなさい」と言っています。 

 その2行下、「キリストの平和があなた方の心を支配するように」とあります。「キリストの平和が、あなたの心を支配するように」と言っています。行いではなく、心の問題なのです。 

 その3行下、「キリストの言葉があなたがたの内に豊かに宿るようにしなさい」とあります。「あなたの内に豊かに宿るようにしなさい」と言ってます。宿ることが問題なのです。

 つまり、聖書の言葉は、「行い」のことではなく、行いを創り出す源にある、その人の「心」のあり方について語っています。

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では、その「心のあり方」とは何か?それは、キリスト教では、「愛」ということになります。

2年生、専攻科生のみなさんの中には、「どんな立派な行いをしても、そこに「愛」がなければ虚しい」という聖書の言葉が頭に浮かんだ人がいるかもしれませんし、また、専攻科生の中には、「何をしたかではなく、そこにどれだけ愛を込めたかが大事です」というマザー・テレサの言葉が浮かんだ人がいるかもしれません。

先ほど、電車で、喜んでおじいさんに席を譲る人と、優先席なので仕方なく、いやいや席を譲る人の話をしましたが、席を譲るという行いは同じでも、心に愛があるか否かが、決定的に重要だということです。

さて、ここから話の核心になります。

が、この続きは後編で

 ・・・ to be continued


星美学園短期大学 学長メッセージ

2024年7月23日 (火)

学長メッセージ・特別編「学長講話:前編」

今回の学長メッセージは、学長メッセージ特別編として、7月22日(月)に行われた「学長講話」の内容を前・中・後編として、まとめましたので、ぜひご一読ください。

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 みなさん、こんにちは。 こうして、学生の皆さんに集まっていただき、共に集いのひとときを持てることに、感謝したいと思います。

 

 私は、だいたい月2回くらいのペースで、保育園を訪問しています。保育について、保育士さんと話し合ったり、時にはお母さんと話し合うこともあります。 

 私が保育園に行くと、子どもたちが私に声をかけてくれます。

 ここで、問題です。突然ですが・・・。

 子どもたちは、私に、どのように声をかけてくれるでしょうか?

 以下の4択から、1つ選んでください。

 ① ねえ、おにいちゃん ② ねえ、おじちゃん ③ ねえ、おじいちゃん ④ ねえ、じいさん

 さあ、どれでしょう。  

 正解は、③ ねえ、おじいちゃんconfidentです。

 たまに、「おじちゃん」と呼んでくれる子もいますし、先週行った保育園では、「ねえ、誰のお父さんなの?」という子もいましたけど、だいたい、普通に「おじいちゃん」と認識されるようになりました。 

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 ここから本題に入ります。

 このように、普通に、「おじいさん」と認識してもらえるようになったおかげで、これまで経験できなかったことが、経験できるようになりました。

 それは、いったい何でしょうか? どうですか? 

 ヒント:電車 traintrainです。

 

 そうですね。電車で席を譲ってもらえるようになったことです。これはうれしいですね。

 楽させてもらえるということもありますが、人の優しい心、親切な心、思いやりの心に触れる機会が与えられるようになったという、ちょっとした喜びです。

 でも中には、席を譲られて「年寄り扱いするのか」と不機嫌になるおじいさんも、聞くところによると、いるようですね。せっかくの、優しい心を踏みにじってしまうようで、少し悲しいですね。

 

 先日、こんな出来事がありました。

 大宮駅から乗り込んできた、おじいさんが、優先席に座っていた若い男性の前に立って、吊革にぶら下がって覆いかぶさるように前傾姿勢になり、「おい、そこどけや、優先席やないかい」みたいなオーラをとばし始めたのです。

 若い男性は、そのすごいオーラshineに気づいたようで、ふてくされたように、席を立ちました。そして、そのおじいさんは、その空いた席に、「当然じゃろ」みたいな顔で、座ったのでした。

 若者は、席を譲るという好ましい行為をしたのですが、そこに「やさしさ」はなく、おじいさんにも「感謝の心」がありませんでした。ただ、無言の喧嘩みたいな、虚しいやりとりがあっただけでした。

 さみしいですね。

 

 先ほど、聖書が朗読されました。

 その中で、特に注目してほしいことがあるので、ちょっとお手数ですけど、お手元のしおりの「聖書朗読」の箇所を開いていただけるとありがたいです。

今回は、ここまでです。この続きは「学長講話:中編」で! 

・・・ to be continued


星美学園短期大学 学長メッセージ

2024年7月 3日 (水)

【学長からのメッセージ2024.7】「かみさまは どこに いるのかなあ?」(のつづき)」

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星美学園短期大学 学長 阿部健一


「かみさまは どこに いるのかなあ?」(のつづき)

 前回、しょうちゃんのおじいちゃんは、しょうちゃんに、「かみさまは、しょうちゃんの心の中に、いっしょにいてくれる」と話しました。

おじいちゃんなりに、そのことを、もう少し考えてみました。

ひとつは、「かみさまは、心の中にいっしょにいてくれる」といっても、一人ひとりの心の中に、別個に居られるわけではないということです。(当たり前ですね。)

かみさまは、一人ひとりの心の中に居られながら、同時に一人ひとりを超えて居られます。逆に言えば、一人ひとりを超えて居られるかみさまが、私たち一人ひとりの心の中にも、居てくださるということです。

そういう意味で、心の中にかみさまが居られる人たちは、みな、かみさまによって“1つの人たち”です。

もう1つ考えたことは、「かみさまは、私たちの心の中にいっしょにいてくれる」というときの「私たちの心」です。

「私たちの心」というと、まず「心の世界」と言えるような「心」が思い浮かびます。その「心の世界」のような「心」の中に、かみさまが居られ、私たちは、そこに居られるかみさまに向かって、いつでも、どこでも、どんなことでも、祈り、願い、語りかけることができます。

もう1つ、私たちのことばや行いを産み出す(源となる)『心』があります。「心根がやさしい」とか「心が卑しい」とか「心がまっすぐだ」などというときの『心』、つまり、その人の日頃の行いを産み出す元となっている『心』です。この『心』は、私たちがどう生きるかに関わるとても大切な『心』です。この『心』の中に、かみさまがいてくださることは、なんと心強いことでしょうか。

私たちは、それに応えて、次のように祈りたいと思います。

「私の言葉や行いを通して、あなたの愛が表されますように」

「私の言葉と行いが、いつも、愛からのものでありますように」

追記:8月は、暑さのため、「学長メッセージ」をお休みします。


【関連記事】 学長が語る 障がい児保育 第1回~第8回(最終回)


https://www.c.seibi.ac.jp/

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星美学園短期大学

2024年6月 4日 (火)

【学長からのメッセージ2024.6】「かみさまは どこに いるのかなあ?」

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星美学園短期大学 学長 阿部健一


かみさまは どこに いるのかなあ?」 

かみさまは、どこにいるのかなあ?

神社でお参りしてた人がいたけど、おやしろの中に、かみさまがいるのかなあ?

曲がり角のお地蔵様に手を合わせていた人がいたけど、お地蔵様の中に、かみさまがいるのかなあ?

ぼくが幼稚園のとき、先生が「かみさまは、いつも、いっしょにいてくれる」って教えてくれたけど、かみさまは、いつも、ぼくの隣にいるのかなあ?

 

ぼく、おじいちゃんにきいてみたんだ。

「幼稚園の時、先生が、『かみさまは、いつも、いっしょにいてくれる』って教えてくれたけど、かみさまって、いつも、ぼくの隣にいるの?」

 

おじいちゃんは、困った顔をして、言ったんだ。

「難しい質問だなあ・・・。だって、おじいちゃん、かみさまのこと、よくわからないんだ」だって。いつも教会に行ってるくせにね。

 

でも、教えてくれたんだ。

「幼稚園の先生が、『かみさまは、いつも、いっしょにいてくれる』と教えてくれたのは、かみさまは、いつも、しょうちゃん(ぼくの名前だよ)の隣にいてくれるということじゃなくて、いつも、しょうちゃんの心の中に、いっしょに、いてくれるという意味じゃないかと思うよ。しょうちゃんが悲しいときや、うれしいときや、怒っているときや、考えているときや、笑っているときや、いつでも、どんなときでも、かみさまは、しょうちゃんの心の中に、いっしょにいてくれるからね」

 

それで、ぼく、分かったんだ。

神社にお参りしている人も、お地蔵様に手を合わせている人も、きっと、その人の心の中のかみさまに、話しかけているんだよね。


【関連記事】 学長が語る 障がい児保育 第1回~第8回(最終回)


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星美学園短期大学

2024年5月 7日 (火)

【学長からのメッセージ2024.5】「宝 物」

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星美学園短期大学 学長 阿部健一


「宝 物」 

ぼくが ママと おじいちゃんのおうちにいったとき

ママとお散歩に行ったら

土手の下に ぺんぺん草がいっぱい生えてたんだ

だから僕 一本持って帰りたくなっちゃったの

でもね 途中で折れちゃったんだよ 

だって 茎がとっても細いんだもん

おじいちゃんに「折れちゃったの」って見せたら

セロテープで折れたところを巻いて 治してくれたんだ

そして お水の入ったガラス瓶の中に挿してくれて 

ぼくに 言ったんだよ

「見て このぺんぺん草 とっても元気で 嬉しそうだよ」 ってね

 

わたしが パパと おじいちゃんのおうちにいったとき

パパと近くの公園に行ったら

端っこに 鉛筆よりも もっと太いぐらいの枝が落ちてたんだ

地面に少し埋まって 泥だらけだったけど

なんだか とっても 気に入っちゃったの

だから おじいちゃんちの玄関のところに 置いておいたんだ

だって 帰ったら ママに見せてあげるんだもん ぜったいに

おじいちゃんのおうちに さよならするとき パパが言ったの

「そんな泥だらけの枝を持ってたら 帰りの電車の中で おやつ食べられないよ」 って

でも 私は 言ったの

「いいよ」 って

だって この枝 ママに見せる方が いいもん

おじいちゃんも わたしに 言ったんだよ

「ママ とっても よろこぶぞ」 ってね


【関連記事】 学長が語る 障がい児保育 第1回~第8回(最終回)


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星美学園短期大学

2024年4月 4日 (木)

【学長からのメッセージ2024.4】「朽ちる命と朽ちない命」

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星美学園短期大学 学長 阿部健一


「朽ちる命と朽ちない命」 

 以前住んでいた家の庭に、朝顔を植えたことがあります。

 つるを伸ばし、花を咲かせ、そして、枯れていきました。

 翌年、同じ場所から芽が出て、同じように、花を咲かせました。

 

 ここで問題です。

 初めの年の朝顔と、次の年の朝顔は、同じ朝顔でしょうか?違う朝顔でしょうか?

 初めの年の朝顔は、朽ちて、もうありません。

 次の年の朝顔は、咲いています。

 この2つの朝顔を、それぞれ「個」として捉えるなら、「違う」朝顔としてみるのが自然でしょう。

 そして、その「個」の命は、「朽ちる」ように定められているのです。

 ところで、いつの間にか、勝手に芽を出して、花を咲かせた、次の年の朝顔は、いったい何者でしょうか?

 その出自を問うならば、言うまでもなく、前年の朝顔の種です。

 その種は、前年の朝顔自身であり、かつ、次の年の朝顔自身でもあります。そういう意味で、初めの年の朝顔と次の年の朝顔は、「同じ」朝顔と言えるでしょう。

 このように、「個」を超えた命は、「朽ちることのない」命です。

 

 「朽ちる」命が終わっても、「朽ちない」命は、在り続けます。

 それは、希望であり、喜びであると言えるでしょう。

 「野辺の花 はしゃぎつつ摘む童らに  微笑み顔で 過ぎ逝くわが身」

 義父の辞世の句です。


【関連記事】 学長が語る 障がい児保育 第1回~第8回(最終回)


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星美学園短期大学

2024年3月 6日 (水)

【学長からのメッセージ2024.3】「スマイルは、目で伝わる」

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星美学園短期大学 学長 阿部健一


「スマイルは、目で伝わる」 

Q区の保育園の巡回相談(月2回程度)を頼まれて、30年余りになります。

当初は、ギリギリ30代だったので、園児たちは、私のことを「おにいさん」と呼んでくれました。もっとも、中には、「おじさん」と呼ぶ不届き者もおりましたが・・・。

50代に入ると「おじさん」が、闊歩するようになりました。

が、60代に入っても、依然として「おじさん」(「おじいちゃん」ではなく)が頑張っていたので、「自分、見た目、案外若めかも?」などと調子に乗っておりました。

が、それも束の間、今や、木枯らしの吹く70歳半ば、さすがに「おじさん」と呼んでくれる園児は、誰一人、いなくなりました。諸行無常。

100%「おじいちゃん」と呼ばれる自分に、一日も早く、慣れ親しまなければ・・・と想いを馳せる、今日この頃であります。

・・・というのは、余談で・・・。

 

コロナ禍で、みなさん、マスクをするようになりました。

当然、保育園でも、保育士全員マスクでした(多くの園では、今も)。

保育士の表情が見えないので、子どもたちに何か問題が生じないか・・・ということも、ささやかれました。

実は、私も、マスクを付けた顔で、子どもとのラポール(親愛関係)が築けるか不安でした。と言うのは、ラポール形成のスーパー必殺技は、「スマイル」だからです。

「スマイル」は、「微笑み」とは違います。「微笑み」は、内向きな、慎ましやかな笑顔ですが、「スマイル」は、外向きの、「ごきげんよう」という、元気いっぱいの笑顔です。つまり、「スマイル」は、相手へのメッセージなのです。

どんなメッセージか?

「ぼくは、君を大切に思っているよ。だから仲良くなろうね」というメッセージです。

「スマイル」によって、このメッセージが、子どもの心に、瞬間的に伝わります。その結果、会った瞬間、友達になれるのです。

 

マスクで顔が隠れていても「スマイル」が伝わるだろうか?・・・無理だろうな・・・というのが、私の当初の思いでした。でも、それは全くの杞憂でした。マスクをしたままでも、全く問題なしでした。「スマイル」は、全く問題なく、子どもたちに伝わりました。

「スマイル」の発信地は、「口角」ではなく(マスクで隠れているのですから)、「目」なのです。

たとえマスクをしていようが、「スマイル」全開の時の「目」の力が、「ぼくは、君を大切に思っているよ。だから仲良くなろうね」というメッセージを、ちゃんと子どもに伝えるのです。

コロナのマスクが、私に、そのことを教えてくれました。


【関連記事】 学長が語る 障がい児保育 第1回~第8回(最終回)


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2024年2月 5日 (月)

【学長からのメッセージ2024.2】命

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星美学園短期大学 学長 阿部健一


「命」

 新しい命は 母の胎内で 育まれ

 新しい命は 母の乳で

 そして 多くの人たちの愛で

 生かされていきます。

 

 新しい命の光が灯るとき

 新しい愛の光も灯ります。

 だから

 命は愛

 命と愛は 一緒です。

 

 愛があるとき 命は命であり

 そして 私も私になれます。

 

 愛がないとき 命は命ではなく

 そして 私も私にはなれません。

 

 本当の私は どんな私?

 いつも 喜んでいる私・・・。

 

 そんな私を 幼い日々の まぶしい光の中に

 いつの間にか 置き去りにして

 ここまで 歩いてきたのかもしれません。


【関連記事】 学長が語る 障がい児保育 第1回~第8回(最終回)


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2024年1月 9日 (火)

【学長からのメッセージ2024.1】自分を捨てるほど自分らしくなる

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星美学園短期大学 学長 阿部健一


「お前は、いつも自分のことばかり考えてるな」

これは、父から、私がずっと言われ続けてきた言葉です。

子どもの頃ならまだしも、いい大人になっても言われた記憶がありますから、かなり筋金入りの「自己中・自分ファースト人間」だったということでしょう。そんな私であったからこそ、次のような「人生の不思議な真理(?)」に気づくことができたのかもしれません。

それは、「自分を捨てるほど自分らしくなる」ということです。 

私が、「自己中・自分ファースト人間」を脱却し始めたのは、多分40歳を過ぎたころからではないか思います。そして、その脱却が進行する過程の中で、「自分を捨てるほど自分らしくなる」ということに気づいていったのでした。

「自分を捨てるほど・・・」の「自分」とは、「自己中・自分ファーストの自分」です。そして、「・・・自分らしくなる」の「自分」とは、「本来あるべき(と感じられる)自分(本当の自分)」です。(ということは、前者の自分は、「本当の自分」ではないということになります。)

「本当の自分」とは、何かといいますと、それは、「愛が共にある自分」と言えるかもしれません。たとえば、「自分の言葉や行いが、いつも愛からのものであるかを意識している自分」と言ってもよいかもしれません。

「自己中・自分ファーストの自分」を捨てると、不思議なことに、替わって、「自分」の中に「愛」が登場してきます。そして、そのとき、「自分は、本来あるべき自分になれた」と感じることができるのです。これが、「自分を捨てるほど自分らしくなる」ということの意味です。


【関連記事】 学長が語る 障がい児保育 第1回~第8回(最終回)


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2023年11月30日 (木)

【学長からのメッセージ2023.12】そら が そこに あること

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星美学園短期大学 学長 阿部健一


「たいせつなこと」という絵本があります。(マーガレット・ワイズ・ブラウン作 レナード・ワイスガード絵 フレーベル館)1949(昭和24)年に出版され、読み継がれている絵本です。

その中に次の一節があります。

「そらに とって たいせつなのは いつも そこに あると いうこと」

空ほど、いつも、私たちと共に在るものはありません。

人が生まれたときから死ぬときまで、どこに居ても、共に在るのですから。

と言うか、空は、私が生まれる前から、そして私が死んだ後も、ずーっと在り続けるのですから。

もしかして、空は、私が、今、ここに、こうして私として、たしかに在るという、「自己存在」の意識を繋ぎ止めてくれるアンカーのようなものなのかな・・・とも思います。

私は、よく空を見上げます。空は、ただ上を見るだけで、いつも、そこに居てくれます。

思い煩いで心が煮詰まったとき、空を見上げると、なんだか、そんな思い煩いが、ちっぽけなこと、取るに足りないことに思えてきます。空の無限性、永遠性が、きっと、私にそのことを教えてくれるのでしょう。

もしかして、空は、神様に似ているのかな・・・とも思います。

 

私が見る幸せな“夢”は、窓から空が見えるベッドの上で死ぬことです。

レースのカーテンを優しく押して訪れる“風”に包まれて、「幸せそうな顔、してるね」という周りのささやき声を聞きながら・・・そんな夢です。


【関連記事】 学長が語る 障がい児保育 第1回~第8回(最終回)


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