02_学長メッセージ

2023年7月 4日 (火)

【学長からのメッセージ2023.7】CDの世界とレコードの世界

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星美学園短期大学 学長 阿部健一


 初めてCD音源を聴いたとき、音のキレの良さ、細部の音のクリアさで、もはやレコードの時代は終わったなと確信しました。最近、レコードには、CDにはない「臨場感」や「音圧」を感じるとかで、レコードブームが再燃しているようですが、まったく、理解できませんでした。つい先日までは・・・。

数年前、A氏が、不要になったスピーカーをプレゼントしてくれました。縦1メートルのスピーカーボックスに、4つのスピーカー(うち1つは、A氏が自作したもの)が内蔵されています。(幸い幅が20センチなのでホッとしました。)

その出来事を知ったB氏が、自作のスピーカーをさらに追加し、ミニコンポの代わりに小型パワーアンプとCDプレーヤーを設置してくれました。こうして、思いがけず、私の長いミニコンポ時代は終焉の時を迎え、見た目、なにやらオーディオ好きのような佇まいになってしまいました。

先日、我が家にやって来た長男が、C氏からいただいてそのまま使わずに仕舞い込まれていたポータブルレコードプレーヤーを見つけ出し、新オーディオ装置に接続して、レコードを掛けました。ピアノの音が鳴りだした瞬間、驚きました。そこに「人」が居て、弾いている感じなのです。まさに、CDにはない「臨場感」と言えるかもしれません。私は、CDとレコードの違いを確認したくなりました。

そこで、レコード版とCD版の両方揃っている「カルメン・マキ&OZ」で聴き比べることにしました。このレコードは、私が20代後半に購入し、その後CD版も購入して、(飽きっぽい私が)折に触れて聴き続けている、何とも不思議なアルバムです。その中の、「Image Song」で、聴き比べることにしました。

まずCD版。キレの良い、細部までクリアな音で、期待通りです。次にレコード版。イントロからヴォーカルに入った瞬間、仰天してしまいました。別次元の音が現れたのです。まさに、「臨場感」と「音圧」の違いといってよいと思います。「今、鳥が翔びたつ日暮れた野原に」のところでは、左上腕部に鳥肌が立ちました。

この出来事によって、「レコードの時代は終わったな」という私の確信は、完全に崩れてしまいました。

レコードがCDに勝っているということではなく、両者は別の世界を現しているのだと思います。今回、幸いにも、レコードの世界の素晴らしさを発見することができたということです。

この発見は、新オーディオ装置のおかげなのでしょうか。それを確かめるためには、お蔵入りしたミニコンポでこのレコード盤を聴いてみる必要がありますが、さすがにそこまでの情熱は、私には、ありませんでした。


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2023年6月 1日 (木)

【学長からのメッセージ2023.6】“6月”に、ちなんで

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星美学園短期大学 学長 阿部健一


“6月”といえば、あじさいです。

あじさいの花は、そぼ降る雨の中、パステル色を楽しませてくれます。そして、あじさいの葉も、また、濃くも薄くもない丁度良い緑で、その上を、虹色の光を薄く残しながらカタツムリが静々と歩んでいきます・・・という情景を思い浮かべることはできるのですが・・・、実は、この年になるまで、あじさいの葉っぱの上のカタツムリというものを見たことがないのです。

3歳の頃私が引っ越した家の裏手が竹藪でした。雨上がりに、カタツムリが笹の葉の上を静々と歩いている姿をいつも見ていました。

私が、幼稚園の年長組のある日、先生が子どもたちに質問しました。

「カタツムリは、何の葉っぱの上にいますか?わかる人・・」

カタツムリを普段見ている子どもたちですから、すぐさま一斉に手を挙げました。

「はい、あべくん」と、先生は、私を指名しました。

私は、自信満々に、元気よく答えました。

「笹の葉っぱの上です!」

「違います!」

「わかる人・・・」、先生は、もう一度、子どもたちに問いかけました。

今度は、誰も、手を挙げません。“先生にとっての正答”を答えなければいけないモードに切り替わってしまったからです。

しかたなく、先生は自分で答えました。

「あじさいの葉っぱです」

先生は、折り紙であじさいを折り、緑の葉っぱを描いて、その上に折り紙で作ったカタツムリを貼るという造形活動を計画していたのでした(今考えると)。そして、その活動の導入として「カタツムリは、何の葉っぱの上にいますか?わかる人・・」という問いかけを考えていたでしょう。先生は、どうしても、「あじさいの葉っぱです」という答えがほしかったのだと思います(今なら、事情は、わかります)。

しかし、悲しいことに、幼児教育には、自分の「指導計画」よりも、もっと大事なものがあることをご存じなかったようです。

先生から頭ごなしに全否定されて固まってしまった“けんちゃん”の姿が見えます。「大丈夫、心配しないで、けんちゃんは、間違ってないんだからね」・・・私の心は“けんちゃん”をぎゅっと抱きしめるのです。


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2023年5月 8日 (月)

【学長からのメッセージ2023.5】“これが最後”という思いの中での別れ

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星美学園短期大学 学長 阿部健一


東京のM区に「青年学級」がありました。

M区の中学校の特殊学級(今の特別支援学級)を卒業した、知的障がいの若者たちが、毎日曜日に集まって、1日を楽しく過ごしました。若者たちの多くは、地域の小さな事業所に就職し、一般社会の中で暮らしていました。当時の社会には、まだ、単純な手作業や肉体労働の仕事があり、また障がいも重度化していなかったので、そのような暮らしが可能だったのです。しかし、その分、社会の風の中で悪に誘われる危険性もありました。

休日に喜びをもって過ごせる場を提供する「青年学級」は、そのような危険から知的障がいの若者を遠ざける意味を持っていました。そういう意味で、ドン・ボスコの「オラトリオ」と似ていたかもしれません(お祈りはありませんが)。

特学(当時「特殊学級」をそう呼んでいました)の現役の先生やOBの先生が数人ずつ交代で関り、月1回、全スタッフのミーティングがありました。当時大学院生であった私は、アシスタントとして、1年下の後輩と共に、3年間、毎日曜日、知的障がいの若者たちと過ごしました。それは、ほんとうに楽しい3年間でした。自分の人生に感謝したいほどに。

特学の先生方は、お酒のことを「教育ジュース」と呼んで、よく飲みにつれて行ってくださいました(きれいとは言えないけれど、安くておいしいお店をよくご存じでした)。支払いは、割勘でした。といっても、「均一」な割勘ではなく、「公平」な割勘でした。つまり、「懐具合」に応じた割勘で、大学院生の私は、最大で500円でした。

あるとき、戦前から障がい児と関わってこられた先生が、「教育ジュース」をたしなみながら、「自閉症が現れた時は、びっくりしたなあ」と話されました。以来、私は、自閉症は、新しい障がいであると信じています。余談ですが。

私が「青年学級」を辞めるとき、70歳を過ぎた、スタッフ最高齢の先生が小さな居酒屋でお別れの席を設けてくださいました。先生は、しみじみと惜別の情を表されたのですが、私は、なんだかそれに違和感を覚えて、引き気味になってしまいました。

そのときの私には、先生の思いがわからなかったのです。そのときの私にとって、そのお別れの場は、人生の、よくある、「通り過ぎていく風景」の1つに過ぎなかったのです。

私も、先生と同じ年になり、「これが最後」という思いで人と別れる経験をしてきました。そして、あのときの先生も、「これが最後」という思いであの席を設けてくださったのだなあということが、やっとわかるようになったのです。

「これが最後」という思いの中での別れは、人生の、よくある、「通り過ぎていく風景」の1つなんかでは、決してないのです。この眼とこの耳とこの心に永遠に留まり続ける、惜別の思いを背景にした、「通り過ぎることのない風景」なのです。


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2023年4月11日 (火)

【学長からのメッセージ2023.4】「まあ、いいか」(完結編)の後日談

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星美学園短期大学 学長 阿部健一


前回の最後に、次の文章を書きました。

「人に被害を与えても平気な人には、神様は、遠くの方から悲しい気持ちで見つめるしかありません。自分の罪を知る人には、すぐ側に、神様が来てくださいます。そして、優しく語りかけます。
「だいじょうぶだよ。心配しないで。」と。そして、優しく付け加えます。「だから、あなたも、人を許すのですよ。」と。」

その後、しばらくして、下記の、遠藤周作さんの文章を見つけてしまいました。

「親鸞さんも、キリストもいっているわけだ。自己嫌悪をもたないようなやつは救われないのですよ。キリスト教を三十年も勉強したぼくがいっているのだから、これほど確かなことはない。それは信頼してもらってもいい。つまり、自己嫌悪をもつ者ほど道徳的に敏感なんだ。「オレは悪いことをした」と思えば、もうそれで許されるということさえいえるくらいだ。」

(「自分をどう愛するか(新装版)」34ページ:青春文庫)

「自己嫌悪をもつ者」を、(私の)「自分の罪を知る人」に置き換えていただき、「「オレは悪いことをした」と思えば、もうそれで許されるということさえいえるくらいだ。」を、(私の)「自分の罪を知る人には、すぐ側に、神様が来てくださいます。」に置き換えていただくとわかるのですが、遠藤周作さんは、私が書いたものとほぼ同じ内容を、そこで述べていたのです。
しかも、私よりも、ずっと力強く・・・。


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2023年3月 3日 (金)

【学長からのメッセージ2023.3】「まあ、いいか」について(完結編)

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星美学園短期大学 学長 阿部健一


 「返報性(へんぽうせい)の原理」といって、人間には「仕返し」に向かう本性があります。したがって、誰かから嫌なことされたら、どうしても「仕返し」がしたくなり、簡単に「まあ、いいか」とはいかないかもしれません。しかし、「まあ、いいか」とするかしないかの権限は、自分にあるので、原理的には、「まあ、いいか」とすることは、不可能ではありません。

 自分が誰かに嫌なことをしてしまった場合に、そんな自分を許し、「まあ、いいか」と水に流すことができるのか。これは、加害者である自分を、加害者である自分が許す構図になり、原理的には、不可能ということになるでしょう。たとえ、被害を与えた相手が、「まあ、いいか」と許してくれたとしても、事情は、変わりません。

 私が洗礼を受けた時、私の教会では、月1回、ミサ後に、神父様による「癒しの按手」が行われていました。受洗後、はじめてその「癒しの按手」を受けたときに、突然、ある感情に満たされて、涙がとめどなく溢れ出てきました。その感情とは、昔、子どもの頃に経験した、きっと叱られるにきまってると思っていたのに、思いもかけずに、優しく「大丈夫だよ」と抱きしめられたときにこみ上げてきた、あの感情でした。「癒しの按手」のたびに、その感情が溢れ、嗚咽が始まり、涙がボロボロ流れ出すので、とうとう恥ずかしくなって、「癒しの按手」を受けるのをやめてしまいました。

 イエス・キリストが弟子たちに教えた「主の祈り」の中に、「私たちの罪をお許しください。私たちも人を許します。」という一節があります。

 「私たちも人を許します。」ということばは、私たちが、「返報性(へんぽうせい)の原理」に引きずられつつも、人を許すことが可能であることを意味しています。

 「私たちの罪をお許しください。」ということばは、自分の罪は、自分ではどうしようもできず、神様に委ねるしかないことを意味しています。

 

 人に被害を与えても平気な人には、神様は、遠くの方から、悲しい気持ちで見つめるしかありません。自分の罪を知る人には、すぐ側に、神様が来てくださいます。そして、優しく語りかけます。

「だいじょうぶだよ。心配しないで。」と。

そして、優しく付け加えます。

「だから、あなたも、人を許すのですよ。」と。


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2023年2月13日 (月)

【学長からのメッセージ2023.2】「まあ、いいか」について(役割編)

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星美学園短期大学 学長 阿部健一


 「まあ、いいか」の役割とは、なんでしょうか?

 何かの原因で、はからずも、「負の自分(心)」(怒り、失望、悲嘆、憎悪、落胆・・・などに染まってしまった自分)になってしまったときに、その「負の自分(心)」を切り替えて、「本来の自分(心)」を取り戻すことだと思います。

 場合によっては、そう簡単に、「まあ、いいか」と切り替えることなどできないかもしれません。しかし、それでも、誰のためでもない「自分のために」、切り替えるよう努めるべきだと思います。もしも、「負の自分(心)」のままで人生の最後迎えるとしたら、何のための人生だったのか・・・とても悲しいことだと思います。

 「負の自分(心)」を切り替えることは、物事を正しく捉え、正しく判断することにも繋がります。IQの高い人が、物事を正しく捉え、正しく判断できる人ではありません(言うまでもないことですが・・・)。物事を正しく捉え、正しく判断できる人は、まず、自分のことを考えに入れない人です。そして、「負の自分(心)」を生きていない人です。「負の自分(心)」は、物事を見る目を歪め、判断を歪めてしまいます。できるだけ「間違いのない人生の道」を歩むためにも、「負の自分(心)」を「いつもの自分(心)」に切り替えることが必要だと思います。

 「まあ、いいか」という転轍機(ポイント)のレバーをいつも握りながら、注意深く「負の自分(心)」を「いつもの自分(心)」に切り替えながら、人生を歩んでいけたらと思います。


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2023年1月17日 (火)

【学長からのメッセージ2023.1】「まあ、いいか」について(結婚編)

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星美学園短期大学 学長 阿部健一


 成育歴も違い、性格や好みも違う者同士が一緒に生活を始めるのですから、結婚生活は、「まあ、いいか」の、最適な修行の場になるのかもしれません。

独身時代:自分の作った味噌汁がしょっぱかった。お湯を少し沸かして、薄めて飲む。

新婚時代:妻が作った味噌汁がしょっぱかった。

全然気にならず、感激して飲み切る。

結婚10年目:妻が作った味噌汁がしょっぱかった。

具だけ食べて、汁はこっそり捨てる。

結婚20年目:妻が作った味噌汁がしょっぱかった。

「当てつけ」ととられないかと恐れながら、自分で、お湯を少し沸かし、薄めて飲む。気づいた妻が、「あら、しょっぱかった。ごめんね」とほほ笑む。

結婚30年目:妻が作った味噌汁がしょっぱかった。

いつものように、普通に、お湯を少し沸かして、薄めて飲む。妻は、いつものように、普通に、何事もなかったかのようにしている。

こうして、二人の修業は、完成の域に至る。(終わり)

(お断り:ここに登場する夫婦は、フィクションです。)


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2022年12月12日 (月)

【学長からのメッセージ2022.12】「まあ、いいか」について(前々回からの続)

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星美学園短期大学 学長 阿部健一


 「一本、もらえるかな?」と、私が仲間に加わった彼女らは、みんな高校時代に「特別に“目を付けられてきた”」学生たちでした。不思議なことに、みんな出身高校は違うのに、「類は友を呼ぶ」の言葉どおり、この専門学校で出会い、仲間になったのでした。

「教師」に対する強い不信感から、教師に対しては、文字通り、心も体も“斜に”構えていて、授業はやりにくく、学生たちに対しては、“みんな、なに真面目にやってんの?”みたいな雰囲気を醸し出して、なんとなく、クラス全体の学習意欲の足を引っ張るような存在でした。

それが、2年生になると、誰もが認めるほどの、学習意欲満々の別人に変わってしまったのです。

私は訊きました。

「みんな、2年生になって変わったよね」

彼女らは、あっけらかんとして応えました。

「そうだよ。だってこの学校、私たちの服装や髪型のことなんて、何にも言わないじゃない」

この学校は、自分たちを受け入れてくれている、「ここは、私たちの学校だ」と確信できたということなのではないかと思います。

別人のようになった彼女たちが、2年生の後期に、ある事件を起こしていたことを、何年もたってから、彼女らの同級生から聞ききました。

ある非常勤の先生に対し、「おい!お前!今、阿部先生について、なんか言っただろう!ふざけんじゃねえよ!」と、椅子を蹴って教壇に走り、その先生を吊し上げたというのです。

「あれ、あれ、学習態度は変わっても、気性は変わらなかったな」と微笑んでしまいましたが、でも、そんな彼女らも、人生の旅路で修行を積みながら、“一途さ”という彼女ららしい美徳を保ちながら、きっと、すばらしい大人になっていくだろうなと思いました。

彼女らの名前も顔もどこかに行ってしまいました。ただ、出来事だけが、今も生きています。


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2022年11月15日 (火)

【学長からのメッセージ2022.11】「まあ、いいか」について(前回の続き編)

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 学長 阿部健一


 「一本、もらえるかな?」・・・その言葉が私の口をついて出たのは、多分、凍りついている彼女たちを救い出したかった、そして、心配しなくても大丈夫、敵じゃないんだと伝えたかった・・・そんな気持ちからだったと思います。

 この一言で、空気が一転しました。

 彼女たちの顔が、途端にパッと変わり、嬉しそうに、みんなで、「いいよ、いいよ」と言いながら、私のために場所を空けてくれました。そして、自分たちのことを話し始めました。ときに、ポロポロと涙を流しながら。

 彼女たちは、いわゆる「ツッパリ(今や死語?)」系でした。高校生時代に、「先生たちから、特別に”目“をつけられてきた」ということで、”先生“というものに対して、強い不信感を身に着けていました。

 彼女たちと何を話したかは、すっかり忘れてしまいましたが、私の中に、強い、ある印象を残しました。それは、「この学生たちは、何て気持ちが優しいんだろう!」という印象でした。そして、その印象は、私の中に、ある考えを生み出しました。

 「『ツッパリ』系の学生は、『お利口さん』系の学生より、人の情においては、優っている」・・・もちろん、私の独断と偏見です。しかし、あの日の彼女たちは、この独断と偏見を、私に植え付けてくれたのでした。

(前回お約束した「彼女たちは、なぜ変わったのか」については、次回に少し触れさせていただきます。)


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2022年10月11日 (火)

【学長からのメッセージ2022.10】「まあ、いいか」について(懐深し編)

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 学長 阿部健一


 未成年の若者たちがタバコを吸っていた。そこに教師がやってきて、「一本もらえるかな?」と、一緒に談笑を始めた。そんな教師がいたらどう思いますか?きっと、“ありえない”と思うにちがいありません。ところが、いたのです。そんな教師が。私でした。

***

 ある専門学校に勤めていたときの、昭和時代の話です。当時、その専門学校は、女子のみの2年課程(入学定員50名)でした。1年次が終わる2月に、3泊4日の研修旅行があり、校長とクラス担任が引率をしていました。校長が引率するのは、この行事への責任を負うお気持ちが強かったからだろうと思います。

***

 「一本もらえるかな?」事件は、研修旅行中の出来事でした。多分、何か事情があったと思いますが(忘れました)、その時の研修旅行は、クラス担任の私のみの引率でした。

 私がある部屋(和室)の戸を開けると、数人(たしか4名くらい、顔も名前も忘れました)の学生がたばこを吸っていたのです(その部屋の戸を開けるに至った経緯も忘れました)。突然の私の出現に、学生たちはおびえるような目で私を凝視し、固まってしまいました。その状況の中で、私は、言ったのです。

 「一本、もらえるかな?」

***

 研修旅行から帰ると、さっそく校長室に呼ばれました。校長から、真っ先に、学生たちの様子を聞かれました。私は、名前を挙げて、学生が部屋で喫煙していたことを告げました。

 校長は、それを聞いて、私に尋ねました。

 「で、阿部君は、どうしたんだい?」

 私は、答えました。

 「『一本、もらえるかな?』と言って、仲間に入りました」

 校長は、一瞬言葉に詰まったようでした。が、すぐに苦笑いしながら言いました。

 「まあ、阿部君がそうしたんじゃ、しかたないよな」

 翻訳すると「阿部君のしたことは掟破りだけれど、阿部君がそれを良しとしてやったことであれば、しかたないよな」ということです。

 校長の懐の深さを感じた出来事でした。

***

 なぜ、「一本、もらえるかな?」と言って学生の輪の中に入っていったのか(もちろん、タバコがほしかったわけではありません)、そして、その結果、何が起こったのか・・・次回、お話ししたいと思います。


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