学長メッセージ・特別編「学長講話:後編」
今回の学長メッセージは、学長メッセージ特別編として、7月22日(月)に行われた「学長講話」の内容を前・中・後編として、まとめましたので、ぜひご一読ください。
お待たせしました!後編です。
前編の内容はこちらから
中編 の内容はこちらから
では、私たちはどのようにしたら、心の中に「愛」を持てるようになるのでしょうか?
キリスト教では、「愛」は、人間が創り出すものではなく、神さまからいただくものと考えます。では、どうしたら、私たちの心の中に、神様の愛をいただくことができるのでしょうか?ということになります。
結論からいうと、それは「自分を捨てることによって」です。
わかりやすく説明するために、私たちの心を、1つの「器」と考えてみます。今、この「器」が、自分のことだけで一杯になっているとき、神様の愛は、この「器」の中に入ることができません。自分のことだけで目一杯なので、神様の愛を受け入れる余地がないのです。しかし、逆に、「器」から自分のことを捨てていけば、空いたところに、神様の愛が、自然に入ってくることになります。神様の愛は、いつも、みなさんの器(つまり心)の中に入りたがっているからです。
神様の愛を器に受けるためには、ただ器の中から「自分のこと」を捨てていけばよいのです。ではどうしたら、器の中から、自分のことを捨てることができるのでしょうか?
その答えは、皆さんご存じの、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」の中にあります。
「アラユルコトヲ ジブンヲカンジョウニ入レズニ ヨクミキキシ、ワカリ、ソシテワスレズ」の一節です。
ものごとを考えたり、判断したりするときに、「自分第一」「自分優先」ではなく、自分のことは勘定に入れずに、あるいは、自分のことは後回しにして、あるいは、自分のことはいったん脇において、考えるということです。
そうすることによって、器の中から自分のことを捨てていくことができます。
といいますと、反論があるかもしれません。
・・・いやいやいや、ちょっと待ってくださいね。
自分のことを勘定に入れなかったり、自分のことを後回しにしたりしたら、自分が損するだけじゃないですか?!
・・・いやいやいや、この世界だいたい逆になります。
自分のことを後回しにする人の方が、むしろ得をすることが多いのです。最後には得をしている。これが人生の不思議な真理です。
・・・いやいやいや、ちょっと待って。
自分のことを心の中から捨てていったら、自分が自分でなくなってしまうではないですか?・・・これも、ちがうのです。自分を捨てれば捨てるほど、実は本当の自分になっていくのです。自分と思える自分となっていけるのです。「自分第一」「自分優先」で生きている自分は、実は本当の自分ではないからです。これも人生の不思議な真理です。
とは言っても、みなさんは若いですから、自分を勘定に入れないで物事を考えるということは、なかなかハードルが高いかもしれません。私も若い頃は、自分のことばかり考えていました。
そこで、今日は、特別に、自分を捨てることを意識しなくても、心という器の中に、神様の愛をいただくことができるお祈りを、みなさんに教えることにします。
お祈りする気のない人も、ぜひ、メモしてください。
では、言います。
「神さま、あなたの愛が、私を通して、周りの人たちに表されますように、そして、私の言葉と行いが、いつも愛からのものでありますように」
男子の場合は、「私」ではなく、「俺(僕)」でもいいです。
「神さま、あなたの愛が、俺(僕)を通して、周りの人たちに表されますように、そして、俺(僕)の言葉と行いが、いつも愛からのものでありますように」
カッコいいですよね!
さて、これから夏休みに入ります。このお祈りは、みなさんの夏休みを素晴らしいものにしてくれると思います。
ぜひ、よい夏休みをお過ごしください。
星美学園短期大学 学長メッセージ