学長メッセージ・特別編「学長講話(後期)」
今回の学長メッセージは、学長メッセージ特別編として、1月20日(月)に行われた「学長講話」の内容をまとめましたので、ぜひご一読ください。
みなさんは、やなせ たかしさん作詞の「手のひらを太陽に」という歌をご存じだと思います。
1番には、ミミズ、オケラ、アメンボが登場し、2番には、トンボ、カエル、ミツバチが登場し、3番には、スズメ、イナゴ、カゲロウが登場します。
そして、どの生き物も、「みんな、みんな、生きているんだ。友達なんだ。」と歌われます。
ミミズもアメンボも生き物ですから、「みんな、みんな、生きているんだ」というのは当たり前ですが、この歌詞のすごいところ、というか驚くべきところは、「友達なんだ」というところです。
みなさんは、どうでしょうか?
ミミズやスズメを「友達なんだ」と思えるでしょうか?
結構難しいですよね。
でも、もし、そんな世界に私たちが生きられたら、きっと毎日が喜びに溢れるのではないでしょうか。この歌は、子どもからお年寄りまで、ずっと歌い継がれていってほしいですね。
実は、やなせ たかしさんの「手のひらを太陽に」の世界は、キリスト教の世界とも重なるのです。キリスト教の視点から見ると、トンボもスズメも人間も神様によって創られ、共に神様の愛によって生かされているからです。
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話は跳びますが、私は、中学生の時、地面を動き回っているアリンコたちを見て、「アリンコは、何のために生きてるんだろう?君たちの人生に、何か意味があるの?」と考えたことがあります。今でも覚えているので、当時の私にとっては、かなり重要な問題だったのだろうと思います。
そして、今は、というと...、アリンコたちは、自分の人生の意味や目的なんか考えていない。ただただ、生きていることを嬉しがって生きているんだと思っています。言うまでもなく、アリンコだけでなく、アメンボもトンボもスズメも、ただただ、生きていることを嬉しがって、喜んで、生きているんだと思います。
しかし、自由に動いたり、泳いだり、飛んだりできない野の花は、どうでしょうか?生きていることを嬉しがっているのでしょうか?
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みなさんは、「お花が笑った」という歌をご存じだと思います。
でも、お花は、笑うのでしょうか?
実は、笑います。高校のとき、漢文の授業でそう習いました。
「花が咲く」の「咲く」という漢字は、もともとは、「笑う」という意味なのだそうです。だから、咲くという漢字は、口偏なのだそうです。
つまり、今、私たちが、「お花が咲いた」と言っているのは、古い漢字の意味からすると、「お花が笑った」という意味になるのです。
誰にも知られないままに、ひっそりと咲いている儚い一輪の花も、与えられたその命を喜んで生きていると、私は、思います。
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では、人間はどうでしょうか?
日々、生きていることに喜びや嬉しさを感じているでしょうか?
ミミズやスズメが生きていること自体を喜んで生きているならば、同じ生きている人間も、そうでなければおかしいですよね。
実際、1歳、2歳の赤ちゃんを見てください。生きていること自体が嬉しくてしかたないとしか思えません。人間も、アリンコやアメンボやスズメのように、日々、喜んで生きられるように、神様は、本当は、お創りくださっているのです。
本当は...というのは、人間の場合、大人になると様子が変わってしまうからです。人間は、大人になると、日々、喜んで生きることができなくなってしまいます。いったい、なぜなのでしょうか?
アリンコやアメンボやスズメや野の花や人間の赤ちゃんと、人間の大人は、いったい何が違うのでしょうか?
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アリンコやアメンボやスズメや野の花や人間の赤ちゃんは、明日のことを全然心配していません。
みんな、自分の存在を超えた何かに、...アリンコやアメンボは、自然から与えられるものに、人間の赤ちゃんは、世話をしてくれる大人に、自分を委ねて生きています。
つまり、自分で自分の心配なんかしないで、自分を包んでくれている、自分を超えた何ものかに自分を任せて、委ねて、生きているのです。
そのように、自分を超えた何かに自分を委ねて生きるとき、本来神様からいただいている、生きる嬉しさ、喜びが、自分の中に溢れてきます。
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人間の大人は、いつも明日のことを心配しています。その心配を、自分で何とかしなければと、いつも自分のことで心がいっぱいです。重い荷物のように、自分の心配を、自分の背中だけ背負って、ひたすら、果てのない、急な坂道を登っていくかのようです。
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先ほど、イエス様の言葉が読まれました。
「野原の花がどのように育つかを考えてみなさい。働きもせず紡ぎもしない。しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。今日は野にあって、明日は炉に投げ込まれる草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたには、なおさらのことである。」
つまり、明日は燃やされてしまうかもしれない野原の花でさえも、神様は、人間が造るどんな装いよりも美しく飾ってくださる。だから、ましてや、人間であるあなた方のことを、神様が良いように計らってくださらないはずはないではないかということです。
ですから、私たち人間の大人も、丁度赤ちゃんが大人を信頼して自分を委ねるように、神様に、自分の日々の心配を、たとえ幾分かでも、委ねてみるのがよいと思います。きっと、その分、私たちが元々神様からいただいている生きる喜びが、心の中に息を吹き返してくると思います。
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みなさんの中には、今年、成人式を迎えた人がいると思います。
大人の人生には、言うまでもなく、いろいろな困難が待ち構えています。
たとえ困難に陥ろうと、みなさんの重荷を神様に委ねながら、神様からいただいた生きる喜びを失わずに、朗らかに、快活に、人生の坂道を登っていっていただきたいと思います。
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星美(せいび)学園短期大学
SEIBI Gakuen College
幼児保育学科
専攻科幼児保育専攻