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2025年7月17日 (木)

学長メッセージ「7/14(月) 学長講話・概略版」

今回の学長メッセージは、学長メッセージ特別編として、7月14日(月)に行われた「学長講話」の内容をまとめましたので、ぜひご一読ください。 

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「自分本位から抜け出る」


みなさんは、イエス・キリストが「御父」と呼んだ神様を見たことがありますか? ないですよね。私もありません。

聖書の中にも、「いまだかつて、神を見た者はありません。」と書いてあります。(ヨハネ第一の手紙、4章12節)

でも、見たいですよね。

イエス様の弟子たちも同じで、フィリポという弟子が、イエス様に、「私たちに、あなたが御父と呼ぶ神様を見せてください。そうして下されば、わたしたちは満足します。」とお願いする場面があります。(ヨハネ福音書14章8節)

それに対して、イエス様は、およそ次のように答えています。

「こんなに長い間、あなた方と一緒にいるのに、まだ私がわかっていないのか。私を見た者は、御父を見たのだ。なぜ、『わたしたちに御父をお見せください』というのか。私が御父のうちにおり、御父が私のうちにおられることをあなた方は信じないのか。わたしがあなた方に話していることは、私が自分勝手に話しているのではなく、私のうちにおられる御父が、ご自分の業を行っておられるのだ。」(ヨハネ福音書14章9~10節)

つまり、イエス様は、ご自分の言葉や行いは、神様の業を表しているとおっしゃるのです。

イエス様は、たとえば、どのような言葉を語ったのでしょうか?

「あなたを訴えて下着を取ろうとする者には、上着をも取らせなさい」(マタイ福音書5章40節)

「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」(マタイ福音書5章44節)

「だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい」(マタイ福音書5章39節)

「友のために命を捨てること、これ以上の愛はありません」(ヨハネ福音書15章13節)

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みなさんは、いかがでしょうか。

イエス様は、神様の言葉を語っていると思いますか。

イエス様の「私が自分勝手に話しているのではなく、私のうちにおられる御父が、ご自分の業を行っておられるのだ」という言葉を信じる人は、当然、そう思うと答えるのではないかと思います。

ところが、中には、「イエス様がそう言ってるからそうだ」ではなく、自分で福音書を読んで、これはたしかに、人間の言葉ではなく神様の言葉だと確信してしまう、ちょっと変わった人もいます。私も、そのうちの1人でした。

みなさんと同じくらいの歳に、福音書を読んで、イエス様の語る言葉は、神様にしか語れない言葉だ、人間には無理だ・・・そう確信してしまったのです。

しかし、それと同時に、人間が、イエス様の(ということは、神様の)言葉を実行するのは簡単ではないとも感じました。つまり、実行するには、人間には、何かが足りないのです。何かが足りなくて、実行が難しいのです。

その足りないものとは何か? それは、愛です。

人間が愛に満たされたとき初めて、人間でも、イエス様の語る言葉に自分を近づけることができるのだと思います。

では、その人間に足りないその愛は、どこから人間の内にやってくるのでしょうか?

それは、他ならぬ神様からです。

つまり、神様は、人間に実行困難な言葉だけ与えて、それで終わりではなく、人間がその言葉を実行できるよう、私たちに、愛を注いでくださっているのです。

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では、神様の愛をいただくために、私たちはどうしたらよいのでしょうか。

それは、「自分本位」から抜け出すことです。

マザー・テレサは、「与えるためには、自分本位から抜け出さなくてはなりません。」と語っています。

私たちが「自分本位」から抜け出したとき、神様の愛が私たちの内に注がれ、人間にも、与えること(愛の行い)が可能になるということです。


私たち人間は、臆病なために、どうしても「自分本位(自分大事)」になりがちです。「自分本位」から抜け出るために、少し立ち止まって、自分の中の「自分本位」をさがしてみるのもよいかもしれません。


星美学園短期大学 学長メッセージ