【学長からのメッセージ2021.7】自分を人と比較しない生き方
星美学園短期大学 学長 阿部健一
私は、40歳過ぎまで、自分を、人と比較しながら生きてきました。自分が人より恵まれていれば「幸せ」、自分が人より恵まれていなければ「不幸せ」という具合でした。今考えると、その幸せは、つまらない優越感に過ぎず、その不幸せは、つまらない妬みや嫉妬心にすぎなかったわけです。
これは、なにかおかしい。自分の幸せや不幸が、他人との比較で決まるなんて。何かが間違っている。40歳過ぎて、やっとそのことに気づいたのでした。たった一回しかない人生なのに、こんな自分のままで死んでいくと思うと、ぞっとするような恐怖を感じるようになったのです。
聖書の中に、イエスが語った、ブドウ園で働く人の話があります。
ブドウ園の主人が、ブドウの刈り入れのために、朝早く町の広場に来て働き手を探して雇います。夕方、主人が広場に来てみると、まだ働き口の無い人たちがいたのでその人も雇います。
仕事が終わって、賃金を払うとき、主人は、夕方から働いた人にも、朝から働いていた人と同じ賃金を払いました。
すると、朝から働いていた人たちが、それはずるいと主人に文句を言い始めるのです。
なぜ、文句を言うのでしょう。
それは、自分と人とを比較する心があるからです。人が自分よりいい目を見るのが許せないし、そのようなことをする主人も許せないのです。
この朝から働いて文句言う人は、誰でしょう。これこそ、40歳過ぎまでの私です。
よくよく考えてみれば、夕方から働いた人が、朝から働いた自分と同じ賃金をもらったって、私にとって、本当はどうでもいいことなのです。
賃金を払うのは、私ではなく、ブドウ畑のご主人なのです。ご主人がそうしたいというのだから、それでいいのです。
だいいち、私は、ちゃんと約束通りの賃金をもらえたではないですか。文句を言う筋合いはないのです。主人が、他の人にいくら払おうがどうでもいいこと。
「優しいご主人でよかったよね。遅く来たのに、同じように、一日分のお金をもらえたなんて」と、一緒に喜んだらいいのです。
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