【学長からのメッセージ2021.10】「私」は「自分の命」で生きている?
星美学園短期大学 学長 阿部健一
夏の間咲いていた朝顔も、やがて枯れて土に還っていきます。
そこからこぼれ落ちた種は、また、来年の夏に、花を咲かせることでしょう。
突然ですが、ここで問題です。
来年咲く朝顔は、今年咲いた朝顔と同じ朝顔でしょうか、違う朝顔でしょうか?
「今年咲いた朝顔は、枯れて土に還ってしまったのだから、来年咲く朝顔は、新しく咲く朝顔で、今年とは違う朝顔だ」という見方もできますが、それは正しいでしょうか。
今年咲いた朝顔は、朽ち果てて無になったのではなく、種に変身し、来年また、種から花へ変身していくと考えれば、今年の朝顔も来年の朝顔も、同じ朝顔であるといえるでしょう。
もし、朝顔がおしゃべりできたら、きっとこう言うことでしょう。
「咲く花は年によって違うけどね、ずーっと、ずーっと、ずーっと、わからないくらい昔から、「私」は、「私」なんだよ」
また、その年に咲く朝顔の花は、きっとこう言うことでしょう。
「私を咲かせているのは、私の命じゃないですよ。私を咲かせる「命」によって、咲かせてもらっているのです。」
朝顔を通して「命の有様」を考えてみると、「私の命は、私のもの」とも、「私の命は、父母からいただいたもの」とも、言い切れないように思います。
ずーっと、ずーっと、ずーっと、わからないくらい昔からの「命」が、今、ここに、私を生かしている。そして、その命は、私だけでなく、みんなを生かしてる、あるいは、みんなを生かしてきた、あるいは、みんなを生かしていく、そう考えるのが自然なのではないでしょうか。
そして、そう考えるとき、生きるということや死ぬということが、少し見えてくるように思います。
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