【学長からのメッセージ2023.5】“これが最後”という思いの中での別れ
星美学園短期大学 学長 阿部健一
東京のM区に「青年学級」がありました。
M区の中学校の特殊学級(今の特別支援学級)を卒業した、知的障がいの若者たちが、毎日曜日に集まって、1日を楽しく過ごしました。若者たちの多くは、地域の小さな事業所に就職し、一般社会の中で暮らしていました。当時の社会には、まだ、単純な手作業や肉体労働の仕事があり、また障がいも重度化していなかったので、そのような暮らしが可能だったのです。しかし、その分、社会の風の中で悪に誘われる危険性もありました。
休日に喜びをもって過ごせる場を提供する「青年学級」は、そのような危険から知的障がいの若者を遠ざける意味を持っていました。そういう意味で、ドン・ボスコの「オラトリオ」と似ていたかもしれません(お祈りはありませんが)。
特学(当時「特殊学級」をそう呼んでいました)の現役の先生やOBの先生が数人ずつ交代で関り、月1回、全スタッフのミーティングがありました。当時大学院生であった私は、アシスタントとして、1年下の後輩と共に、3年間、毎日曜日、知的障がいの若者たちと過ごしました。それは、ほんとうに楽しい3年間でした。自分の人生に感謝したいほどに。
特学の先生方は、お酒のことを「教育ジュース」と呼んで、よく飲みにつれて行ってくださいました(きれいとは言えないけれど、安くておいしいお店をよくご存じでした)。支払いは、割勘でした。といっても、「均一」な割勘ではなく、「公平」な割勘でした。つまり、「懐具合」に応じた割勘で、大学院生の私は、最大で500円でした。
あるとき、戦前から障がい児と関わってこられた先生が、「教育ジュース」をたしなみながら、「自閉症が現れた時は、びっくりしたなあ」と話されました。以来、私は、自閉症は、新しい障がいであると信じています。余談ですが。
私が「青年学級」を辞めるとき、70歳を過ぎた、スタッフ最高齢の先生が小さな居酒屋でお別れの席を設けてくださいました。先生は、しみじみと惜別の情を表されたのですが、私は、なんだかそれに違和感を覚えて、引き気味になってしまいました。
そのときの私には、先生の思いがわからなかったのです。そのときの私にとって、そのお別れの場は、人生の、よくある、「通り過ぎていく風景」の1つに過ぎなかったのです。
私も、先生と同じ年になり、「これが最後」という思いで人と別れる経験をしてきました。そして、あのときの先生も、「これが最後」という思いであの席を設けてくださったのだなあということが、やっとわかるようになったのです。
「これが最後」という思いの中での別れは、人生の、よくある、「通り過ぎていく風景」の1つなんかでは、決してないのです。この眼とこの耳とこの心に永遠に留まり続ける、惜別の思いを背景にした、「通り過ぎることのない風景」なのです。
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