【学長からのメッセージ2025.3】「亡き人と語らう(その2)」
星美学園短期大学 学長 阿部健一
「亡き人と語らう(その2)」
「その人が生きていたときよりもその人が亡くなったあと、その人との深い対話が始まる。」の続きです。
昨年5月に、母が、99歳で亡くなりました。以下は、母の思い出を辿る中で、初めて「わかった」ことです。
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私のお臍の右側には、やけどの痕があります。だいぶ目立たなくなりましたが、それでもケロイドとして、今も痕跡を残しています。おもしろいことに、乳児期にできたそのやけどの痕は、体の成長と共に大きくなっていきました。
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私には、そのやけどの痕を恥ずかしく思っていた時期がありました。特に、小学四年生頃から高校生の頃だったと思います。水泳の授業の時など、海水パンツをたぐりあげて、やけどの痕を少しでも隠そうとしていました。
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私が小学5年生くらいのときだったと思います。
母が、お客さん(誰だかは忘れました)に、私のやけどついて話したのです。私は、その話を、横で聴いていました。
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私が乳児の時、私のお腹の具合が悪かったので、母が、温めたこんにゃくを布で包み、私のお腹に巻いてくれました。しばらくすると、私が激しく泣き出しました。母は、その理由がわからず、ただオロオロするばかりでした。が、はっと気づいて、慌ててこんにゃくを外したのですが、時すでに遅し、私のお腹に、くっきりとやけどの跡が残ってしまったのでした。
私がいる所で、母が、私のやけどについて語ったのは、その時が最初で最後でした。
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母が亡くなったあとに、遅まきながら、母の思いが、私に伝わってきました。
母は、私がやけどの痕を恥ずかしく思っていることに気づいていたのです。それは、親である以上、きっとそうであったろうという、私の中に生まれた確信です。そして、私がやけどの痕を恥ずかしがっている様子を見るたびに、母は、心を痛めていたにちがいないのです。
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私のお腹のやけどの痕は、私だけのものではありませんでした。ずーっと、母のやけどの痕でもあったのです。
私が、やけどの痕を恥ずかしがることによって、どれだけ母を悲しませたか・・・今になって、やっと気づくことができたのでした。
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