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2022年1月11日 (火)

【学長からのメッセージ2021.12】「私のもの」とは?

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星美学園短期大学 学長 阿部健一


前回、私のショルダーバックは、牛革からバッグに仕立てる人、革となる牛を育てる人、牛が食べる餌をつくる人などの手を通して私の前にあるというお話をしました。

私たちは、「私のショルダーバック」、「私の服」、「私の友人」・・・などと「私の」という言葉を普通に使っていますが、よくよく考えてみると、完全無欠に「私のもの」と言えるものなどはなく、私が「私のもの」と言うものは、結局、「私のところに来てくれたもの」と考えるのが正しいように思います。

「私のところに来てくれたもの」と考えるとき、私たちに感謝の気持ちや大切に思う気持ちが生まれます。大切に思う気持は、「来てくれたもの」の幸せを思う気持ちです(たとえそれが物であっても)。

「私のもの」、だから大切に思う、ということもあるかもしれません。しかし、その「大切に思う」は、結局は、自分を大切に思うことで、「執着」といえるでしょう。

「私のところに来てくれたもの」は、その定めとして、「去りゆくもの」です。「私のところに来てくれたもの」と受け止める人は、別離の哀しさはあっても、去りゆくものの幸せを思い続けるでしょう。

一方、「私のもの」と考える人は、「去らせたくない」、「手放したくない」という執着に苦しむことになるでしょう。

私たちの世界は、「私の」という言葉のマジック囚われて苦しんでいるようです。たしかに「私のもの」なるものは、形式的には存在するでしょう。けれども、実質的・本質的には、「私のもの」と本当に言えるものは、ないのです。「この島は、私のもの」と言っても、たしかに形式的にはそうかもしれませんが、実質的には、地球の地質変動が生み出したものであり、やがては同じ理由か、または浸食によって消え去るものです。

「私のもの」という言葉の呪縛から逃れるとき、私たちは、もう少し自由に、幸せになれるのではないでしょうか。


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