【学長からのメッセージ2025.12】気にしない・あきらめる・当てにしない(3)

星美学園短期大学 学長 阿部健一
気にしない・あきらめる・当てにしない(3)
―番外編“キレやすい子の保育”―
前回、「がまんする」ことと「あきらめる」ことについて触れました。前者は、「思い(欲求)」が通らず、かといって、そのイライラを人やモノにぶつけることはせず、じっと自分の中でそのイライラを処理している状態であり、後者は、イライラの元である「思い」から離れてしまう状態です。「がまんする」状態は、遅かれ早かれ自分の中で処理されて、「あきらめる」に変わっていきますので、「あきらめる」力の元が「がまんする」力であると言えるかもしれません。
保育現場で保育者が難しさを感じている子どもは、「がまんする」ことができない子ども、すなわち、自分の思いが通らないとそのイライラを人やモノにぶつけて解消しようとする子どもではないかと思います。
たとえば、噛みつく、叩く、引っ掻く、罵る、レゴのケースをぶちまける、椅子を振り上げ床に叩きつける、自分がプールに入れないのでプールに砂を投げ入れるなどです。そして、保育者が難しさを感じている部分は、それらの行動を制止すると、さらに激しい行動にエスカレートしていく点だと思います。
このような姿のまま大人になっていくとすれば、本人自身が辛い人生を歩むことになりますから、イライラを人やモノにぶつけない自制心、すなわち「がまんする」力を育てていく必要があります。
そのポイントは、行動の意識化・客観化、対象化で、その方法は、行動の言語化です。(本人が言葉にできないときは、保育者が「・・・だったのかな」と言語化を助けます。)行動の一部でも、言語化(客観視)できれば、それで良しとします。(当然ながら、子どもの行動を追究する場面ではありません。)
この対応は、子どもが落ち着くのを待って行います。(イライラの原因となったモノ、人が視界にない場所に移動することも沈静化に有効です。)
そして、何より重要なことは、「叱る」、「躾ける」という意識を持たないことです。叱られるからしないではなく、自律的に「がまんする」力を育てる必要があります。
子どもを変えるのは、罰や脅しや叱責や小言ではなく、子どもへの愛と信頼であるというドン・ボスコの教育理念を心に留めて関わっていただければ、子どもは、変わっていくと思います。
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