02_学長メッセージ

2022年2月10日 (木)

【学長からのメッセージ2022.2】雪の日の思い出

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星美学園短期大学 学長 阿部健一


何年か前、私が住んでいる熊谷に大雪が降りました。

夜、外に出てみると、1台の軽トラックが、雪にタイヤを取られて立ち往生しています。50歳前後の男性が、雪の降りしきる中、必死に車を押して、脱出しようとしています。

私は、男性に軽くアクセルを踏んでもらいながら、後ろから押してみることにしました。無事、脱出できたので、運転席のところに行くと、助手席に、娘と思われる高校生がスマホに熱中していました。

私は、その風景に、とても違和感を覚えてしまいました。

「父親があんなに大変な思いをしていたのに、なぜこの子は、車の外に出て、父親を助けようとしなかったのだろう。この子は、父親が何とかしてくれるはずと、完全に父親を信頼し安心しきっていたのだろうか。“子ども”なら、それもわかる。父親は、娘に、『心配ないから、ここで待っていなさい』と言ったのだろうか。これも、“子ども”なら、わかる。もしかして、この助手席の高校生は、高校生の姿をした“子ども”なのか・・・」

“子育ての不安”を荷台に乗せたまま、軽トラックは、ゆっくりと立ち去って行ったのでした。

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雪が降ると外に出たがるのは、父のDNAを受けついでいるからです。父は、認知症が進んでも、雪が降ると、特別な、嬉しそうな表情を浮かべていました。

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学長からのメッセージ

2022年1月24日 (月)

【学長からのメッセージ2022.1】冬こそは、喜びの季節

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星美学園短期大学 学長 阿部健一


冬は、しばれる。外に出るのがおっくう。手が荒れる。そんな辛い冬ですが、私は、大好きです。

希望に溢れた喜びの季節だからです。

葉を落とし、冬枯れ姿となった木々に近寄って、枝を見ると、そこには幼い木の芽が息づいて、密かに春を待っています。

なんという感動でしょう。冬こそ、希望に溢れた喜びの季節です。

言葉の世界では、春夏秋冬と、季節の姿はデジタル化されてしまいます。

でも、季節の実相は、冬の中にすでに春があり、春の中にすでに夏があり、夏の中にすでに秋があり、秋の中にすでに冬があります。

言葉に操られたデジタル思考によって、私たちには実相が見えにくくなっています。

冬の中に春が、夜の中に朝が、闇の中に光が、苦しみの中に喜びが、すでに射し込んでいるのです。


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学長からのメッセージ

2022年1月11日 (火)

【学長からのメッセージ2021.12】「私のもの」とは?

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星美学園短期大学 学長 阿部健一


前回、私のショルダーバックは、牛革からバッグに仕立てる人、革となる牛を育てる人、牛が食べる餌をつくる人などの手を通して私の前にあるというお話をしました。

私たちは、「私のショルダーバック」、「私の服」、「私の友人」・・・などと「私の」という言葉を普通に使っていますが、よくよく考えてみると、完全無欠に「私のもの」と言えるものなどはなく、私が「私のもの」と言うものは、結局、「私のところに来てくれたもの」と考えるのが正しいように思います。

「私のところに来てくれたもの」と考えるとき、私たちに感謝の気持ちや大切に思う気持ちが生まれます。大切に思う気持は、「来てくれたもの」の幸せを思う気持ちです(たとえそれが物であっても)。

「私のもの」、だから大切に思う、ということもあるかもしれません。しかし、その「大切に思う」は、結局は、自分を大切に思うことで、「執着」といえるでしょう。

「私のところに来てくれたもの」は、その定めとして、「去りゆくもの」です。「私のところに来てくれたもの」と受け止める人は、別離の哀しさはあっても、去りゆくものの幸せを思い続けるでしょう。

一方、「私のもの」と考える人は、「去らせたくない」、「手放したくない」という執着に苦しむことになるでしょう。

私たちの世界は、「私の」という言葉のマジック囚われて苦しんでいるようです。たしかに「私のもの」なるものは、形式的には存在するでしょう。けれども、実質的・本質的には、「私のもの」と本当に言えるものは、ないのです。「この島は、私のもの」と言っても、たしかに形式的にはそうかもしれませんが、実質的には、地球の地質変動が生み出したものであり、やがては同じ理由か、または浸食によって消え去るものです。

「私のもの」という言葉の呪縛から逃れるとき、私たちは、もう少し自由に、幸せになれるのではないでしょうか。


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学長からのメッセージ

2021年11月29日 (月)

【学長からのメッセージ2021.11】「私」は「自分の体」で生きている?

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星美学園短期大学 学長 阿部健一


私の目の前に、私が購入したショルダーバッグがあります。

さて、このショルダーバックは、私のものでしょうか・・・などと言うと、ちょっと、大丈夫ですか?と心配されそうですが、このショルダーバックの生まれを辿れば、革を縫い、バッグに仕立てる人がいて、さらにその向こうに、革となる牛を育てる人がいて、さらにその向こうには牛が食べる餌をつくる人がいて・・・と、このショルダーバッグが今ここに在るために、多くの人の手を経ていることがわかります。私は、そのショルダーバッグをお金と交換したので「私のもの」と思っていますが、本当は、多くの人の手を経て私のところに「やってきたきたもの」と考える方が自然なのだと思います。

鏡を見ると私の「体」が写ります。

さて、鏡に映っている「体」は、私のものでしょうか・・・などと言うと、これまた、ちょっと、大丈夫ですか?と心配されそうですが、この「体」の生まれを辿れば、気の遠くなるほどたくさんのご先祖様を経て「やってきたもの」であることがわかります。

本当のところを考えてみると、「私のショルダーバック」にしても、「私の体」にしても、さらに前回のテーマ「私の命」にしても、「私のものです」と、軽々しくは決められないようです。軽々しく決められないのであれば、、むしろ、「私のものではない。たまたまやってきたものである」と割り切ってしまうこともひとつです。

「私のもの」と決めるところから「執着」が生まれ、そこからさまざまな心の苦しみや争いが生まれて来るのですから。

最後に・・・、「執着すること」と「大切にすること」とは違います。「執着しないこと」と「大切にしないこと」とは違います。

次回考えてみましょう。


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学長からのメッセージ

2021年10月14日 (木)

【学長からのメッセージ2021.10】「私」は「自分の命」で生きている?

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星美学園短期大学 学長 阿部健一


夏の間咲いていた朝顔も、やがて枯れて土に還っていきます。

そこからこぼれ落ちた種は、また、来年の夏に、花を咲かせることでしょう。

突然ですが、ここで問題です。

来年咲く朝顔は、今年咲いた朝顔と同じ朝顔でしょうか、違う朝顔でしょうか?

「今年咲いた朝顔は、枯れて土に還ってしまったのだから、来年咲く朝顔は、新しく咲く朝顔で、今年とは違う朝顔だ」という見方もできますが、それは正しいでしょうか。

今年咲いた朝顔は、朽ち果てて無になったのではなく、種に変身し、来年また、種から花へ変身していくと考えれば、今年の朝顔も来年の朝顔も、同じ朝顔であるといえるでしょう。

もし、朝顔がおしゃべりできたら、きっとこう言うことでしょう。

「咲く花は年によって違うけどね、ずーっと、ずーっと、ずーっと、わからないくらい昔から、「私」は、「私」なんだよ」

また、その年に咲く朝顔の花は、きっとこう言うことでしょう。

「私を咲かせているのは、私の命じゃないですよ。私を咲かせる「命」によって、咲かせてもらっているのです。」

朝顔を通して「命の有様」を考えてみると、「私の命は、私のもの」とも、「私の命は、父母からいただいたもの」とも、言い切れないように思います。

ずーっと、ずーっと、ずーっと、わからないくらい昔からの「命」が、今、ここに、私を生かしている。そして、その命は、私だけでなく、みんなを生かしてる、あるいは、みんなを生かしてきた、あるいは、みんなを生かしていく、そう考えるのが自然なのではないでしょうか。

そして、そう考えるとき、生きるということや死ぬということが、少し見えてくるように思います。


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学長からのメッセージ

2021年9月15日 (水)

【学長からのメッセージ2021.9】夕日と紅葉の輝き

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星美学園短期大学 学長 阿部健一


私は、新緑のみどりが大好きです。

結婚式の「新郎のプロフィール」に「好きな色は、新緑のみどり」と書いたくらいです。

新緑のみどりは、命の輝き、希望の輝き、歓喜の輝きです。新緑のみどりは、いつも、大きな喜びと希望で私の胸をいっぱいにしてくれます。

人生も終盤を迎えたせいか、今は、夕日に照らされて輝く紅葉(こうよう)が好きになりました。

青く澄んだ秋空に映える紅葉も美しいですが、「秋の夕日に照る山紅葉(やまもみじ)」と唱歌に歌われるように、夕日に照らされて燃えあがるように輝く紅葉の美しさは、まったく別格の美しさです。長い人生の中で「自分」を捨て去ってきた者だけが到達できるような、深い安らぎと深い喜びに満ちた美しさのように、私には、思われます。

新緑の美しさは、若葉それ自身が放出する、溢れるエネルギーの美しさです。それは、自力によって輝く美しさといえるでしょう。

夕日に照らされて輝く紅葉の美しさは、自身が放出する美しさではありません。自分を超えた存在によって照らされて、輝き出す美しさです。それは、他力によって輝く美しさといえるでしょう。

夕日に照り輝く紅葉に出会うとき、私は、考えてしまいます。

私も、紅葉のように、自分を超えた存在に照らされて、光り輝くことができるのだろうか・・・それとも人生の最後まで、私は、自分自身で輝くことばかり考えているのだろうか・・・。

夕日に照らされて燃えるように輝く紅葉に、私が惹かれるのは、自分の旅路の終わりのことを考えてしまうからなのかもしれません。


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学長からのメッセージ

2021年7月28日 (水)

【学長からのメッセージ2021.7】自分を人と比較しない生き方

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星美学園短期大学 学長 阿部健一


 私は、40歳過ぎまで、自分を、人と比較しながら生きてきました。自分が人より恵まれていれば「幸せ」、自分が人より恵まれていなければ「不幸せ」という具合でした。今考えると、その幸せは、つまらない優越感に過ぎず、その不幸せは、つまらない妬みや嫉妬心にすぎなかったわけです。

これは、なにかおかしい。自分の幸せや不幸が、他人との比較で決まるなんて。何かが間違っている。40歳過ぎて、やっとそのことに気づいたのでした。たった一回しかない人生なのに、こんな自分のままで死んでいくと思うと、ぞっとするような恐怖を感じるようになったのです。

聖書の中に、イエスが語った、ブドウ園で働く人の話があります。

ブドウ園の主人が、ブドウの刈り入れのために、朝早く町の広場に来て働き手を探して雇います。夕方、主人が広場に来てみると、まだ働き口の無い人たちがいたのでその人も雇います。

仕事が終わって、賃金を払うとき、主人は、夕方から働いた人にも、朝から働いていた人と同じ賃金を払いました。

すると、朝から働いていた人たちが、それはずるいと主人に文句を言い始めるのです。

なぜ、文句を言うのでしょう。

それは、自分と人とを比較する心があるからです。人が自分よりいい目を見るのが許せないし、そのようなことをする主人も許せないのです。

この朝から働いて文句言う人は、誰でしょう。これこそ、40歳過ぎまでの私です。 

よくよく考えてみれば、夕方から働いた人が、朝から働いた自分と同じ賃金をもらったって、私にとって、本当はどうでもいいことなのです。

賃金を払うのは、私ではなく、ブドウ畑のご主人なのです。ご主人がそうしたいというのだから、それでいいのです。 

だいいち、私は、ちゃんと約束通りの賃金をもらえたではないですか。文句を言う筋合いはないのです。主人が、他の人にいくら払おうがどうでもいいこと。

「優しいご主人でよかったよね。遅く来たのに、同じように、一日分のお金をもらえたなんて」と、一緒に喜んだらいいのです。


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学長からのメッセージ

2021年6月29日 (火)

【学長からのメッセージ2021.6】「手を引くこと」と「背を押すこと」

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星美学園短期大学 学長 阿部健一

今月の学長先生からのメッセージです。


99歳で亡くなった父の、最後の数年間は、いわゆる認知症でした。

認知症になると、外から入る情報が処理できなくなってしまうようです。

父は、自分の母親(私の祖母)と兄(私の伯父)が秋田県の実家で、今も生きていると思い込んでいました。いくら筋を通して説明しても、その思い込みを変えることは不可能でした。

あるとき、夜中に起き出して、雨戸を開け始めました。もう朝だというのです。外に注意を向けさせて、「ほら、暗いでしょ。まだ夜だよ」と言っても、父は不思議そうに空を見上げ、「おかしいなあ、朝なのになんで暗いんだ。まあ、こういうこともあるよな」と私の顔を見て、「心配しなくても大丈夫だから」と言うのでした。

外から入る情報が処理できなくなってしまったので、こちらの言い聞かせや説明によって父の行動を変えることが不可能になりました。しかたなく、父の体に触れて制止せざるを得ない場面が出てきました。

その際、手や腕を引っ張って制止しようとすると、抵抗したり、怒りを表したりします。しかし、後から肩に手を回して制止すると、ほとんど抵抗しないのです。

また、「だめ!」と、頭から否定する場合も、抵抗したり、怒りを表したりしますが、「〇〇しようか」と、その場から違う場面へ穏やかに誘うと、ほとんど抵抗しないのです。

1,2歳児に対しても、「いけません!」と手を引っ張って場面から引きはがすよりは、背中に手を回して「あぶないから〇〇しようか」とやさしく言葉かけする方が、格段に、言葉が子どもに入っていきます。

相手に対して上から目線で説教し、手や腕を引っ張って、無理矢理行動を変えさせようとするよりも、相手の思いをひとまず受け入れて、相手の背中をやさしく押して、相手を方向づける方が、よっぽど上手くいくようです。

これは、どんな人に対しても通じる、人生の真理ではないか・・・、そんなことを考えさせられました。


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学長からのメッセージ

2021年5月28日 (金)

【学長からのメッセージ2021.5】10歳の大人:リトル・トリー

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 私の好きな本の1つに、「リトル・トリー」(フォレスト・カーター著 めるくまーる)があります。

 リトル・トリーは、インディアン(チェロキー族)の子どもで、父、母を続けて失い、5歳の時から祖父母と暮らすことになりました。

 ある日、リトル・トリーは、祖父と街へ出かけます。その帰り道、リトル・トリーは、元気のない子牛に心惹かれますが、そこを言葉巧みにつけ込まれ、50セントでその子牛を買うことになります。子牛が自分のものになって、リトル・トリーの心は躍り、自慢げに祖父に見せましたが、祖父は、うれしそうな顔はしませんでした。

 その子牛は、家にたどり着く前に、道に横たわり、死んでしまいました。病気だったのです。祖父は、子牛の皮を剥ぎ、リトル・トリーは、それを背負いながら、打ちひしがれて、とぼとぼと家路を辿っていきました。

 夕食の時、祖父は、リトル・トリーを見つめて言います。

 「なあ、リトル・トリー。おまえの好きなようにやらせてみせる、それしかおまえに教える方法はねえ。もしも子牛を買うのをわしがやめさせてたら、おまえはいつまでもそのことをくやしがったはずじゃ。逆に、買えとすすめてたら、子牛が死んだのをわしのせいにしたじゃろう。おまえは自分でさとっていくしかないんじゃよ。」

 リトル・トリーは、祖父から生きる知恵を学び、祖母から読み書き算数を学びました。リトル・トリーが10歳の時、祖父と祖母が死にました。しかし、その時、すでに、リトル・トリーは、一人で生きていく力を身につけていたのです。

 私たちも、心配に耐えながら子どもの判断を見守る、そういう強さを持つ必要があるのではないでしょうか。


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学長からのメッセージ

2021年4月29日 (木)

【学長からのメッセージ2021.4】繋がり合うこと

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 私が育った地域では、どこに誰がどんな風に暮らしているか、誰にどんなことがおこったか・・・そんなことをお互いに、ごく普通に知りながら暮らしていました。プライバシーとか個人情報保護とかという言葉とは別世界で、「どこの誰々がどうした」というニュースは、当然のごとく共有されるのでした。煩わしくはありますが、お互いどうし強い「関心」を持ちつつ暮らしていた社会でした。

 「関心」は、「繋がり」を生み、「繋がり」は、「助け合い」を生みます。私の茶碗と箸が2軒先の家に置いてあり、大人たちは、自分の子どもだけでなく近所の子どもたちをまとめて遊びに連れて行き、私も、近所の小さい子をよく銭湯に連れて行きました。貸したり借りたり、あげたりもらったり、迷惑かけたりかけられたり、お節介されたりお節介したり・・・「遠くの親戚より、近くの他人」という言葉が、まだ確実に生きていた時代であり、そのような場所でした。このような地域社会の中で、きっとたくさんの人たちが救われていたのだと思います。

 今、都市部では、危機管理を優先して、「知らせない社会」、「立ち入らせない社会」になっています。これは、この時代の必然なのだろうと思います。しかし、いつの日か、人間どうしが「繋がる」社会に回帰していくであろうと思います。なぜなら、それこそが、人間が、根源的に求めている「自然な暮らし方」だと思うからです。


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